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マイケルとチョロとチビ

こんばんわ!
Akieem Zawadiです。





私の家は古い煉瓦のマンションなのですけれど 
小さい蜘蛛がよく出ます(縁起いいみたいだよ)。 
以前から私の話や詩にはよく登場しますが 
ひょこっと顔を出すので「ちょろおはよ~」
といつも挨拶します。

流石に大きいのは怖いですが、小さいのはなんだか 
愛嬌があってかわいいものなのです。 
私はカーキグレーの小さい蜘蛛を「チョロ」と 
呼んでいたのですが、最近前足が白く黒い胴体に
2本の白いラインの入ったまるでタキシードを着こなしている
紳士のような模様の蜘蛛が出るようになり 
そやつをマイケル・ジャクソンの名前からとって 
「マイケル」と呼ぶようになりました。
(※こんな画像みたいにでかくない) 

動きも、前の小さい2本足をスリラーのように動かすので
ますます可愛くて鼻歌交じりにじーーっと「マイケル」を
観察してしまいます。
すると、かわいいなぁと思っていることが相手にも通じるのか
蜘蛛の方も懐いてくるから不思議。
足にピョコと跳ねて離れてを繰り返します。

普通の女の子なら「きゃぁあ!!」と言って払いのけるか
潰しちゃうんだろうなぁ、可愛そうに。
悪い事なにもしてないのに、なんて思いながら愛でています。

ちなみにグリーンの小さな小さな蜘蛛も現れるので
安直に「チビ」と呼び始めました。
グリーンフィンガーとかもかっこいいかも
なのですが小さすぎてフィンガーが見えない。。。
何事も、ちゃんと観てからじゃないと決められない性分なのね。

GW後から、マンションにいついた地域猫が姿を
消して本当ーーーに寂しいんですよね。

ここがペット可のマンションならなぁ!
といつも考えてしまうのですが、
どうか引越しを決める前に そうなりますように。

叶っても時既に遅しって事、私よくあるからなぁ。
夢は叶えばいいってもんじゃない。
タイミングって重要だよ。

うん、神さま、今!!!!

と思ったら今叶わなきゃ意味ないんだよーーー
たまには神さまにもモノ申してみたり。。 
きっと誰もその肩書きに恐れをなして言えない人多いもの。
(神さまに願い事※の注意書きつき。これいいんじゃない?
 分かりやすいし合理的)

そういえば、その地域猫の名前は「にゃん太」と呼んでました。
今どこで何してるのかなぁ。
誰かに優しくしてもらえてるといいなぁ!

ちなみに私は大きいわんころを飼いたいので、ここがダメなら
引越しするしかないのかなぁと思案中。
最近、自分の中で何か変わり始めてるから
次の日記にはそのことを書こうと思っています。

お楽しみに♡ 
See you〜♪ 





La leo litende leo 
Akieem Zawadi
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こんばんわ!
Akieem Zawadiです。

さて、今回は先日花種PJに何かきっかけが欲しくて
こちらのフォーラムを聴講しに有楽町朝日ホールへ
行って参りました。




      
第2回メディアフォーラム

  『震災報道を考える

      ~被災地の声を伝えるために~』




  ■http://www.tv-asahi.co.jp/hq/tour/contents/event/0055/


【 特別コメンテーター 】 池上 彰 (ジャーナリスト)

【 登壇者 】  東 浩紀 (作家・批評家)
         林 香里 (東京大学 大学院情報学環 教授)
         杉浦 信之(朝日新聞 ゼネラルエディター 兼 東京本社編成局長)  
         宮崎 知己 (朝日新聞東京本社特別報道部次長)  
         中村 直樹 (テレビ朝日報道局 ニュースセンター編集長)
         伊藤 賢治 (テレビ朝日 「報道ステーション」ディレクター)
         千葉 顕一(東日本放送 気仙沼支局カメラマン)*中継


【 司会者 】  下平 さやか (テレビ朝日アナウンサー) 
          富川 悠太 (テレビ朝日アナウンサー)






以前の日記にも書いていますが、私の家にはTVがありません。
それは、時間を制約されたくないというのとともに
垂れ流し式にドロドロとした事件の映像を何度も繰り返し
煽り立てる心ない報道やお仕着せの型に嵌ったお笑いなどを
見ることに辟易した、という経緯があったからです。
事件や事故は感受性の高い私の心を否応無く傷つけてしまう為
私は、故意にニュース性の強いものから自分を遠ざけていたのかもしれません。



しかし、今回話を聞いて、
一瞬でこのような思いは払拭されました。


私が特に心打たれたのは、


●『報道ステーション』 伊藤賢治ディレクターの
陸前高田の取材を通しての「報道が被災者の人生に影響を与える事への恐怖」

● 朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』宮﨑知己担当デスクの
「しつこく追い続けること」


という2つの話でした。



伊藤賢治ディレクターは常に険しい顔で皆の話をずっと赤ペンで
聞き漏らすまいと必死に書きとめているようでした。
しかしながら、聴講者からの質問にはほっこりとした笑顔で
言葉に気をつけながら丁寧に答える姿に誠実さが表れている方でした。


木材業に携わる被災地の方と仲良くなりご馳走になった際
このままずっとご馳走になるわけにはいきませんと断ったところ
その男性がキッと表情を変えて「もう我々の繋がりもこれで終わりだ」
と言われたエピソードがすごく印象的でした。

我々と同じで何も変わりはしない、折りしも「被災者」になってしまっただけなのに
勝手にこちらの決め付けで可愛そうな人という型にハメてしまった事に深く反省をした
ということでした。

その木材業の方は無償で仮設住宅にその時問題になっていた
「孤独死」を少しでも改善したいと長いすを造って配っていたのですが
その個人が出来る範囲の事をしただけでした。
ところが、どこかのメディアが丁寧に取材もせず「美談」として
流してしまった、、、その結果、「私も欲しい!」という問い合わせが
殺到してその個人を傷つけてしまう、という結果に。

父親を亡くした男の子が、祭り好きな父を想い
祭をきっかけににどんどん変化していった、という内容を放映したが、
この先彼が成長して何らかの問題を抱えた時にTVで
取材されたせいで人生がおかしくなったんだ!と
責められないか、その恐怖を抱えている。




事実を深く追求せずにそのまま伝える今の報道のあり方や
被災者の為、といっているが本当か?といった
問題提起を常に投げかけていました。
さらに”視聴率”を報道をやめることの逃げに使わないなど
ストイックな面が凄く素敵だな、と感じました。

『報道ステーション』のオープニング映像と音楽を担当した事から
震災当初全く被災地に入れなかった自分を悔い、復興のプロセスを
丁寧に拾ってゆきたい、そして、”常に答えは現場にある”という理念を胸に
復興のプロセスを追う番組づくりをして「繋ぐ」役割を果たしてゆきたい
と語っていました。




一方、宮﨑知己担当デスクは新聞記者というよりかはどこかの
きちんとした役所の役員といった風情で、ひとつひとつの言葉を
丁寧にきちんと選び、品のある受け答えをする優しい物腰の方でした。
そして、どこかしらユーモアのセンスと粘り強さ兼ね備えた人間性の持ち主でした。



中部電力の社員が「放射能で死んだ人は1人もいない」という発言を受けて
・仮設に閉じこもり孤独死する人
・お酒・脂っこい食事により体調不良となって死ぬ人
は原発のせいで死んだことにはならないのか?

放射能度が高すぎて、お墓にお骨を納められない その数 35→57へ。

横須賀基地では警報が流れた、という真実を取材によってあばいた。

取材を重ねる度に、どんどん問題は深まり、取材し足りないと思う。
企画を立てる段階で、既成概念にとらわれることなく
間違いがあれば誤り、正しい情報を丹念にしつこく追求する。
「同時進行ドキュメント」として進化する報道のあり方を追求してゆきたい。
勝手に取材を初めて、こっちで勝手に判断してやめてしまわない。



震災から7ヵ月後に連載が始まったことに対して「遅すぎる」というお叱り
の連絡は来たが、内容についての批判は一切ない、「何もしない」ということが
ありえない、とスッパリと言い切る姿勢に潔しい記者魂を感じずにはいられませんでした。

特に、前から気になっていた『プロメテウスの罠』を今読み始めているのですが
各章毎のタイトルを読むだけでもかなり引力があり、さらに文章は凝縮された真実が
書き連ねてある涙なしでは読み進められない読み応えのある本です。
新聞ならではの短い文に凝縮された濃い文章、その記事をどんな想いで記者達は
追いかけているのだろう、と想いを馳せました。



他にも


東京大学大学院情報学環の林香里 教授の

「メディアを信用してはいけませんよ!」

の一言に会場から拍手が沸き、それを受けてのパネルディスカッションは
面白く、日本は他国と比べメディアにかなり信頼を置いており
そのメディア依存の危険性に一石を投じる一言でした。
また、震災だけが報道において特別視されていいのかどうかという問いは
非常に難しく今後も継続して話し合いが必要があるように思われました。





作家・批評家の東浩紀さんが語った



現在、チェルノブイリ事故から25年経ち、チェルノブイリでは
日本人がギョっとするようなエンターテイメント性の高い
チェルノブイリミュージアムがあり、スマトラバンダーチェンにも
津波ミュージアムがある。そして、どちらのミュージアムにも
日本が援助を行っており、津波ミュージアムに関しては内容の支援まで
行っている、日本も今度は各国からの援助を受けて後世に
語り継ぐ為のミュージアムを造るべきではないのか?
自分は勝手に福島観光地化プロジェクトを立ち上げて活動している。
東京の人は当事者じゃないという被災者の言葉がショックだった。




等の話にはかなり興味が湧きました。


福島のひばりFMの方はまだ、違和感があるとおっしゃていましたが
確かにまだ現時点では、現地の方にとっては仕事や生活が先であるように
思います。だからこそ、気付いた人で興味のある人が別行動でそういった
後世に受け継ぐ事をやったらいいのではないのかな、と今回感じました。



つまり、『復興』は一元的ではなく、何重にも、何層にも、何又にも分かれて
行うべきものなのではないかという答えが今回参加して強く感じたことでした。


心の問題、原発の問題、仮設の問題、メディアの問題(メディア関係者の心のケア)
報道のあり方、風化を防ぐ事と過剰な偏った報道のあり方。。。。

今回参加してみて、メディアは視聴者の気持ちとかけ離れているんじゃないか
ずっとそう思っていましたがむしろ、まったく同じ気持ちで取材を重ねている人も
いるんだと心強い気持ちになりました。


そして、メディアに関してもっと深く勉強していきたいという想いが強くなりました。


特別コメンテーター の池上 彰さんが、今後の報道のあり方はこうすべきなんだ、
という言葉が印象的だったので最後に書いてこの日記を締めくくりたいと思います。



『 戸惑い、引け目、躊躇い、恐れ、、、、

 これらの事を忘れずに報道することの大切さ。

 切り取ってキレイにまとめずに、

 自問自答しながら、分からない事を分からないと

 視聴者と一緒になって勉強しながら

 造っていくという姿勢を忘れてはならない。 』











La leo litende leo
akieem zawadi


こんばんわ!
akieemzawdiです。

早いもので本日で2011年が終わろうとしています。
3.11をはじめ、NZの大地震、タイの洪水、アフリカの干ばつなどの自然災害...
各国の首相の入れ替わり、大きな戦争の終結。

こんなに激変した年があったでしょうか。

他人事ではなく自分の目の前で自分や近しい人の人生が180度
変わる正にその目撃者となっているのです。誰もが、

「自分はいま、ここに生きているんだな。」

と実感したのではないかと思います。
ご存知のとおり、今年の漢字は「絆」でした。

本当に大切な物、大切な人がクリアになってより強い絆となって
結ばれたと感じたからこそこのような漢字が選ばれたのだと思います。
私自身もご縁や繋がりをこんなにまで強く感じた年はありませんでした。
最初は分からなかったTwitterやFacebookを通じて、また、学校などの
ご縁で新しい世界が開拓されはじめています。

本年一発目の元朝参りに明治神宮に行った際に
引いたおみくじにはこう書いてありました。

「おこたりて磨かざりせば光ある
 玉も瓦にひとしからまし」

(なまけて磨くことを怠ったならば、立派な光を持つ宝石も、
 瓦や石ころと同じで、何の役にも立たなくなります)

これは自分への戒めと、当初考えておりました。
(年末に学校へ行き磨かざるを得なかったので確かに当たっているな~と思いつつ)

しかし、これは人間の「想定外」への警告、
とも受け取れなくはないなと一年経って思います。
せっかく苦労して建てた家、手に入れた車、お金、家族....それがいとも簡単に
なくなって瓦礫の山と化してしまったあの瞬間。

あの、防波堤があと10m高ければ....
あの、津波警報で「3mの津波が来ています」と誤った放送がなければ...
あの、福島原発で危機管理をちゃんとしていれば....

あげたらキリがありません。
そして、誰が悪いのではありません。
みんながその方向へ動いていったのです。

そして、今「命ある者」が誤った方向性へ行くことに対して声を上げ始めています。
おかしいと思いながら、”従うこと”しかできなかった者たちが一人ひとりの考えで
それぞれが個別に動いていい傾向を作り出し始めています。

「今、ここにあなたと私が生きている」

その実感のある者が、手を取り合い、助け合い、分かち合って
次の世代へと引き継ぐ土台を作り始めています。

私ごとですがクリスマスにPCが壊れました。
バックアップもパーになりました。
ある人から見れば、冴えないクリスマスだったかもしれません。

でも、私はそのとき

「よかったー!命はあるもの。PCでよかった!
 バックアップなら、自分の頭の中にあるし、
 消えたデータを凌駕する物を作ればいーじゃん!」

ってホッとしていました。

バックアップデータはどうにかすれば再現できるけど
「akieem zawadi」という名のバックアップは亡くなったら
二度と再現はできないし、世界にただ一人だけしか存在しないものです。
そう考えたら、世界中に存在している人すべての人が愛おしくて堪らなくなりました。
来年はその想いを形にして表現してゆきたいと思います。

表現する楽しさを味わい尽くしたい、そして、分かち合ってゆきたい。
それが来年の抱負です。


皆様にとっても実り多き年になりますように
心からお祈り申し上げます。


2011の画像集


2011google動画








La leo litende leo
akieem zawadi
こんばんわ!
akieem zawadiです。

今日は、以前から思ってきたことが
震災後現実的かつ、クリアになってきたので書いていこうと思います。

震災後、私の友人の住む福島の原発が津波によって
爆発し放射能によって国土が被爆してしまった。
福島だけでなく、これは日本全部が被爆してしまった、という事である。
これは可能性うんぬんではなく、間違いなく事実だ。

国や自治体が国を捨て、日本人を国外に逃がすような措置はできたかもしれない。
そして、そこに住む人も国外へ逃げられたのかもしれない。
チェルノブイリの教訓を活かせたかもしれない。
でも、それは現実的には不可能だった。
精神的にも、物理的にも、倫理的にも、無理だった。
私も含めた日本人である私たちはこの現状を「受容」するしかなかったのだ。

結果、我々は放射能の影響で間違いなく未来の子供たちの姿が
癌・白血病・奇形・知能障害・発育障害などの病に犯されて
生まれてくる事さへ「受容」したということを意味することでもあった訳だ。

同時にこれはどういう事かというと、
国と戦う、自治体と戦う、世間の偏見と戦うという事である。
戦う必要がある、という事は即ち、その身に置かれている人々というのは
マイノリティーである事を意味している。

あなたは「癌」と聞いたとき何を真っ先に思い浮かべるだろうか?
「癌=死」と思い浮かんだ方は少なからずいるだろう。
しかし、身近に癌にかかっている者がいるとそれは偏見であると言うことがわかる。

例えば、以前にも書いたがうちの母親は癌になり放射線治療を行なった。
本人はいたって元気で外にもでて歩いたり、大好きなシャンソンを歌ったりと
治療後の今は回復しているのだが、いざ外を歩くと病気を知っている皆の目線は

「今にも死ぬんじゃないか、もう、この人の命は僅かだという目で見られる事に
 ひどく腹がたった。」

と語るように、世間の目というのは得てしてレッテルを貼って見たいように見るのである。

つまりは、生きている、人生を楽しみたいと思っている相手に対して
悲壮感たっぷりな同情の目が注がれているという事と同時に
事実を知らないのだという事を示している。
これは病気に対する偏見だとか、どうすれば治るのかなどの
情報が著しく欠如しているからに他ならない。
しかし、マイノリティーでなくなれば等しく正しい知識がもたれるので
偏見はなくならないにしても少なくは成り得る。

これは健常者と障害者という立場の間においても同じ事が言えるだろう。
奇形・知能障害・発育障害の方に対して、どう考えるのか、そして隣合わせた時に
あなたはどう行動してしまうか、どう行動するべきなのか、考えた事があるだろうか。

「バリアフリー」

という言葉や施設が存在する。
だが、今までの施設数や知識では足りなくなる日があと5年もすれば必ず訪れる。

特別な訓練や環境、本人の物凄い努力によって実生活に支障の無い方もいるだろう。
しかし、大半は施設や家の中に閉じこもっている場合が多いのではないだろうか。
何故ならば、健常者に合わせた施設を歩いて回るのは一苦労な上に、いや応なしに
偏見の目に晒され、居心地が悪いからからである。
だから、今までならば目に触れる機会も少なく、よって見えない「バリア」が存在していた。

それが5年後、10年後はどういう状況になっているかというと
病や障害を抱えた人々が街に溢れるようになる。
そして、否応なしに私たちの目に触れる事になるだろう。

お金持ちでも、貧乏人でも、有名でも、一般人でも等しく
病を抱えた子供が生まれる可能性が高いわけだ。
それは私の子供かもしれないし、あなたの子供かもしれない。
親戚の子供かもしれないし、友人の子供かもしれない。
運良くそうでなかったとしても、子孫はそうなるかもしれない。

こうして身近になったとき、あなたどう思い、どう行動するか。

そこがこれからの日本の成長の原点になるのだから
決して目を空してはいけない事だ、と私は言いたい。

もしかしたら、知らない間に命が奪われるかもしれない。
もしかしたら、悲惨な家庭事情により、目も当てられない事件が起こるかもしれない。
もしかしたら、偏見が街に溢れ、今までよりももっとトゲトゲした社会になるかもしれない。

でも、それまでの5年間の間に心の準備をしていてもいいんじゃないか?
もっとできることはあるよ、私はそういいたい。

いままで、ずっとずっと思ってきたこと、
それは「健常者が普通だ」という一般常識はもはや完全に古いということ。
その「普通」に病や障害を持つ人が合わせる、という形は本来おかしいということ。
車椅子に乗っているのも普通だし、キーモで髪が抜けるからカツラを被るのも普通。
手がある事と無い事は同時に普通であり、病で滑らかな言葉が出てこない事も普通である。
周りにいる者に一般常識として、その病についての正しい知識や認識さえあれば
その病気や障害はないも同じであるのだから、それはその人の一つの個性と
いうだけのことになる。

とはいえ、見ていられない程に悲しい現実と言うのもきっと出てくるだろうと思う。
その時の心構えとして、私はこの文を読んでいる方全てにお願いしたい事がある。

それは、

「あることと ないことは おなじこと」

と言うことを繰り返し自分に言い聞かせて欲しいということである。

例えば、あなたは健常者で暮らしていくのに何ら問題はないかもしれない。
でも死にたいくらいに孤独かもしれない。
では、どういうことなのかというと「心がないこと」になる。

実際、病気でもなく、手や足もあり、脳に障害もない人間が「孤独」に陥り
この世に存在意義をなくしている場合が多くあり、とてつもない「孤独」を背負い、
結果的に命を断つケースは多くある。
また、その「孤独」のはけ口を弱者に向けて、児童虐待などの事件も多発している。

なぜそのような事が起きるかというと、それは「心」が荒んでいるから。
心が減ってきて、無くなってしまっているから。

「心」が荒むと人は人に対して、どんどん鈍感になり、無関心になり感情を失ってゆく。
そして対峙している人間にどこまでも酷い行いを繰り返してゆけるのである。
見てみぬ振りをして、相手にとって一番惨たらしい事をして平気になる。
「心ここにあらず」そんな人間が今の日本に数多く存在している。
では未来もそんな人間が増えて、暗い世の中になってゆくのだろうか?

そうならない解決方法が一つだけ、ある。

それは、私達が「持たざる者」と思っている「病」や「障害」を抱えている人と触れ合うこと。
「病気の知識やどう接してあげるのがベストか」学校の勉強と同じくらい学ぶ事、
いや、心と体に叩き込む事。

それが私がこれからの日本を救うやり方だとハッキリ言わせていただく。
そうすれば、彼らが実は「持つ者」で自分たちこそが「持たざる者」だ
という事がハッキリするだろう。
「心」のガソリンが満タンになり、暖かくなり、「孤独」は消え失せ「笑顔」に力が漲るのが
手に取るように分かり本当の生きる喜びを味わう事ができる。

怒り、悲しみ、喜び、楽しみ

この感情を等しく、「分かち合う」こと。
無関心を関心に、無感情を感情的に、等しく、フラットで心地よい日本の姿。

未来の子供がどんな姿であろうとも本当の意味で「受容」する準備。
この5年はそのための、心の準備期間であり、学びの期間である。
その過ごし方によって日本の未来は良いものへと変換されてゆく。
間違いなく、素晴らしい「心の福祉国家」となって世界に誇れる国になる。

日本人として、私は誇りを持って生きたい。
だから私はすべき事を今後してゆくつもりでいる。


最後に
愛すべき誇り高き
福島に住む友人と私の未来の子供に
今日この日記を捧げます。



追伸

実はこの日記のタイトルは最初
「ロシアンルーレットと赤ん坊」というものが頭に浮かんでいました。

でも、妊婦さんやこれから子供を産もうとしている方にとって
辛辣すぎる印象を与えると思ってやめました。
誰のもとに、どんな子供が生まれようと
受け入れる場所さえあれば幸せになれる
そう信じて今のタイトルをつけました。






La leo litende leo
akieem zawadi
こんばんわ。
akieem zawadiです。

今日(11月21日)はおばあちゃんの命日です。
私にとって大事な日。
そして、絶対に忘れられない日です。

以前、日記に書きましたが私は祖母を交通事故で亡くしました。
祖母を展示会に誘い、見に行った帰り道横断歩道ではないところを横切って
私だけが横切らずにそこに佇んでいた....
私にとって、そして家族にとって生死の明暗を分ける出来事でした。

その後、私は自責の念に苛まれ数十年と暮らし事ある毎に堂々巡りを繰り返してきました。
目の前で人が亡くなることを見なくてはいけない者がいるのだとしたら
どうして私だったのか?なぜ私が生き残ったのか?

何度も繰り返された自問自答でした。

そして何も知らずに育った他の子達とは明らかに
生死感における「溝」が出来てしまった事も感じていました。
もともとの感受性の強さに加え、幼少期に見せつけられた惨事。
明らかに私の中に影の部分を作り出し、そのシャドウが自分にベッタリと
張り付き物事が上手くいきかけると徐ろに頭をもたげ
物事を上手くいかないように向かわせるようでした。
そして、この思いは誰にも相談できずにいました。

今だから話せますが、地元にいた頃に物事に行き詰まり、
夜にも関わらずおばあちゃんの墓石の前で泣いたこともありました。
それくらい、誰にもこの思いは理解されないものだと感じていたのです。
顔では笑って心で泣いて、まさに道化の気分だったような気がします。

もしかしたら、自分だけが幸せになってもいいのだろうか?
という気持ちもあったのかもしれません。

「時間が経てば解決するよ。」

経験のない方は簡単にそうおっしゃいます。
しかし、私から言わせれば時間では解決できない場合もあります。
悲惨な記憶というのは言わば爆弾を心に秘めて生きていくようなもので
自分が完全に忘れていると思っいても暴発する可能性があるのです。

ここで、心の中の不発弾が暴発した私の経験を話して置きたいと思います。

20代中頃だったでしょうか、盆休みの夏に私はバイク事故を目撃しました。
と言ってもバイクで転倒した青年を通行人のみんなで脇に寄せて
二次的な事故を防ぐという感じでした。

命に別状はないのは分かっていましたが
彼の足からは血が滴り、みな救急車の到着を待っていました。
私は用を足すためにその場を離れ帰宅しました。

その日は問題ありませんでしたが、その翌日に体調に異変が起こりました。

朝のトイレを済ませドアを開けてそのまま崩れるように倒れたかと思うと
手足が痺れピンと伸びて痙攣が始まり、泡を吹き始めそれに気付いた母が

「あき!あき!大変、あきしっかり!どうしたの?あき!!!」

と体を揺さぶりました。
私は「ダメだ...死ぬか障害が残った体になるかもしれない。」とその瞬間に覚悟しました。
それくらい、自分の体が尋常じゃない状況になっていると感じました。

しかし、徐々に収まりお盆で人もやってくる事から救急車は呼ばずに
父が外回りから帰ってくるまでキッチンの床でぐったりと寝そべっていました。
体は重怠く身動きが厳しいながらも普通に動けるようになったので病院にも行かず
そのまま回復へと向かい今日に至るわけですが、病気の前兆などもなかったので
思い当たるとすればバイク事故を目撃した事しか考えられませんでした。

自分でも記憶は忘れ去られるものだと思っていましたが、この一件があってから
記憶は不発弾のように私の体の一部となって存在しているのだな、と思うようになりました。

この不発弾が怖くて、私は故意にテレビを見なくなりました。
延べくまくなしに流れ続けるニュースに私は容易く傷ついてしまうからです。
震災直後に再び自分の身に何か起こるのではないかという恐怖に怯え
なるべく衝撃的な映像を避けるようにしていたのは、
この心の中の不発弾が暴発しないように身を守っていたからです。

ボランティアに行ったのが今頃になったのも実は
この「記憶の爆弾」を暴発させない為だったのです。

私の経験はとてもパーソナルで、誰かに話したからと言って理解されないだろう
以前の私ならそう答えていたと思います。

しかし、この震災では多くの方が私と同じかそれ以上の経験をしてしまったと感じ
だからこそ私に出来ることがあるだろうと思うようになりました。

不謹慎かもしれませんが、この震災が私にとっての「溝」や「孤独感」を
埋めてくれた可能性は高いと思います。
彼らの気持ちが分かる、そして、今後数十年と彼らの記憶は消し去ることはできないし
私よりも遥かに危険な不発弾を抱えながら生きてゆかねばならないことも懸念されます。
だからこそ私が回避する方法はあるはずだと考えているのです。

ボランティアに行ってから、私はやはり傷つき泣いて
暮らしていたことは先日の日記で書きました。

しかし、この状態が一変する出来事がありました。
実は数日前、お気に入りの公園を散歩していたら近くのお寺から抹香の香りが
してきたかと思うと頭の中で「あきちゃん、あきちゃん」と呼ぶ声がしました。

私はすぐに「おばあちゃんだ!」と分かりました。
実際に耳に聞こえるわけではないのですが、なんとなくそう感じたのです。

「ずっとあなたを見てきたけど、もう自分を責めないで。」

そうおばあちゃんは繰り返しました。
私は立っていられなくなり、近くのベンチで泣きながらおばあちゃんと会話をしました。
なぜ今になって...?

「会いたい、おばあちゃんに今までの事を全部話したい、会いたいよ!」

私は繰り返しました。
夢に出てきたりはしましたが、おばあちゃんは私の問いにずっと無言でした。
ただ、聞いてくれている、見守ってくれている、そう信じて墓参りなどでずっと
語りかけていたのです。

「もう、いいんだよ。あきちゃんの気にしている事はおばあちゃん応援するから」

そう言ってくれました。
ずっとずっと心待ちにしていた言葉。
私の背負い続けた重い荷物をようやく降ろせた感じがしました。
だからこそ、この言葉を信じよう、素直に行動しようと心に決めたのです。

この声は私がそう言ってほしくて頭の中で作り出した幻想だったのかもしれません。
人は私の体験を信じがたい、私の何か病気の前兆かと疑うと思います。
実際にそうかもしれません。
でずが、私にとっては過去の体験から立ち上がるための重要なステップだと思えました。
おばあちゃんの声は一生のうちに聴けるか聴けないかの
大事な人生に対するメッセージだと感じました。

きっと、震災で被害に合われた方も同じような経験を今後してゆくはずです。
だから私なりに気持ちを「分かち合える」ように今から行動してゆきたいと思います。

私のような経験をした方の力になりたい。
そうすることによって、きっと私自身の開放につながると思うから。
今日という日を今後は人生の出発の人して再出発していきたいと思います。



おばあちゃん

声が聞けて嬉しいよ。
おばあちゃんの声が私の生きる指針になったよ。
背中押してくれてありがとう。

もっと自分の弱さや脆さや危うさを曝け出して
誰かがそれで救われたら私は嬉しい。

もう、道化はいやだから
私らしく生きたいと思うよ。

この日を自分を受け入れた日としてこれから
大事にいきていきたいと思うよ。

おばあちゃん、また会う日まで。
たまに恋の相談にも乗ってね。

じゃあね。







La leo litende leo
akieem zawadi
遠くでサイレンの音が聞こえる。

ぎゅっと、胸が苦しくなる。

3/11の「東日本大地震」

M9.0

スマトラに続いての世界で2番目に

大きな被害の大地震となった。




〜3月11日(金)〜

私は確定申告の為会社を休み役所へ行こうとしていた。

雑貨屋で揺れを感じ外へ出ると

道路が波打つように揺れ

屋外へ出てきた人々で道路はみるみる間に

埋め尽くされた。

私は大きくなる一方の揺れに怖くなり

その場にしゃがみ込んでしまった。

揺れが収まりすぐに母に電話するもつながらない。

駅につくと掲示板は「調整中」の文字と見合わせのアナウンス。

雑貨店ではガラスのグラスが割れ散らばっている。

私は徐々に足下からゾクゾクと怖くなってきた。

Twitterでつぶやくと、皆怖いと同様につぶやいている。

そして、役所と住まいの中間あたりでまた大きな揺れを感じて

家族全員に電話をしても繋がらない。

Twitterに入る情報は仙台の大地震と津波の被害が深刻で

日本全土が恐怖の中に撃ち落とされたようだった。

地震の恐怖と家族の安否が確認できない状況でパニックに

陥ってしまい道端で涙があふれてきてしまった。

そんな中大阪の友人が私を力強く励ましてくれた。

私は気を取り直し、役所で用を済ませた。

そして大型スーパーで食料を買いかえりがけにふと、

コンビニ前の公衆電話で電話をする男の子が目に入った。

その子が電話を済ませるや否や私は電話のもとに駆け寄り小銭を入れ祈るように

ボタンを押した。

何度目かのコール音で妹の声で「もしもし?」と出る。

安堵が胸を満たす。



「全員無事?」

「大丈夫だよ。」

「お父さん、お母さんは?」

「今、ここにいるよ。換わるね。」

「あ、亜希子か?」

「大丈夫?」

「なんとかな。すんごい揺れだったぞ。取りあえずみんな無事でお母さんも元気だぞ。

 まて、お母さんに換わるからな。」

「もしもし、あきちゃん?」

「お母さん?大丈夫?」

「とりあえずね..大丈夫、それでね...」

「あ...電話切れそう!」


プーガシャン。急いで100円硬貨を入れ再度電話をかける。


「もしもし?あきちゃん?」

「小銭あっと言う間になくなる。それで、家、大丈夫なの?」

「ガラスのコップとか壊れたものはあるけど、家は壊れてないよ。

 亜希子は仕事なの?帰れたの?そっちも大変だったでしょう?」

「今日は確定申告で休んだの。だから私は大丈夫だよ。

 確定申告に救われたよ...今日は。

 会社の人はどうかな....電車が動いてないからな....。」

「そうなの。あゆみちゃんは仕事?」

「うん。連絡とれなかったけど、たぶん大丈夫だと思うよ。

 あ...また電話切れそう、また夜電話するね!!」


ホッとして駅へ向かうとバス亭とタクシー乗り場には長蛇の列、

運転見合わせのアナウンスが駅から響いて聞こえてくる。

暗くなりかけ寒い風が吹き荒ぶ道を私は走るように家路へ急いだ。

ラジオでは帰宅困難者、余震警報、各地の震度、日増しに増えてゆく行方不明者や死傷者の数、

福島原発の破壊の恐れ、特に仙台の津波の被害、そして地元岩手の聞き覚えのある

「陸前高田の壊滅状態」、グラウンドや屋上に取り残された人を伝えるニュース、

地震の被害がいかに大きく深刻であるかを物々しく伝えるのだった。


私は最初のつぶやきからずっとTwitterでみんなを励ましたり、参考になったり

手助けになるような情報をできる限り公式リツイート(情報を自分の仲間に伝える機能)

して拡散させていた。そしてあらゆる情報もそこから得ていた。

もし、出勤していたら私も間違いなく帰宅困難者になっていただだろうから

せめてもの償いという気持ちもあってひたすらリツイートを繰り返した。

昼食とも夕食ともつかない買ってきたご飯を食べたあと急に家電が鳴り出す。



「亜希子?」

あゆみの声だった。

「大丈夫?亜希子。」

「大丈夫、外に居たけどすごい揺れで怖くてしゃがんで家族と連絡取れない時に

 パニクって取り乱したよ。」

「それで、家族と連絡取れたの?」

「うん、公衆電話から安否確認できた。あゆみは?会社?どうすんの?」

「電車止まったから帰れないよ。みんなここにいる。会社に泊まるつもり。」

「そっかー...近くの大学あるよね。

 あそこニュースで備蓄の水やクッキー毛布配布されるって言ってたけど、そこは?」

「何人かそこにいったけど、だいたいはここにいる。下手に動かない方がいいと思って。」

「そっかー。そっち揺れた?ビル。」

「揺れたー。耐震性あるからたぶんだいじょうぶだけど。」

「なんか、結構阪神大震災の教訓が生かされているみたいだよ。すごい協力的なんだよ。

 でも、中にはフラッシュバックみたいで足竦む子もいるみたいでさ...友達とかにもいる。

 心配なんだよね。」

「会社の子でもいる。泣いて震えてた。思い出すみたいだよ。ほんとうにかわいそう。」

「だって、目の前で見てたんだもんね...辛いよね。思い出さないわけないよね。」

「水とか食べ物補充してた方がいいよ。なんか...12時くらいに大きいの来るって

 Twitterで言ってたし....信憑性ないけどね。」

「え〜!やだ|こわ〜い!(コワイ〜12時に大きいの来るって〜)(ヤダーコワーイ!)」

「あ、でも、本当に信憑性ないから。でも備えはありすぎてもいいでしょ?

 私すぐ逃げれるようにバックに食べ物と水つめて枕元に置いて寝るよ。」

「私もそうする〜。荷物近くにおいとく。じゃね。」

「明日電車動くといいね。」

「そうだね〜バイバイ〜」

「うん、気をつけてねー。」



友人の安否も確認でき、ホッとしたが余震が収まらず新潟や長野でも

別な地震が起きたとラジオが声高に伝えていた。


午前中に干していた洗濯物を取り込みたたみ上げて20時頃公衆電話へ向かう。

駅前の大型スーパーとデパートが既にシャッターを下ろし、タクシー乗り場には長蛇の列。

3台ある公衆電話も人が多く並んでいた。

私は駅の反対側の改札口付近にある小さな公衆電話に並んだ。

既に無料化されていたのが分かったのでそのままかけた。


「もしもし?」

「あー亜希子か。大丈夫か?」

「大丈夫。仙台....大変な事になってるね。」

「んだぞ〜。全国大変だ〜。どれ、お母さんに換わるぞ。」

「うん、もしもし?」

「あ、あきちゃん。ご飯食べた?」

「食べた。お母さんは?」

「食べたよ。さっきゆきちゃんとあっき帰ったばかりだよ。」

「ゆきちゃん、仕事じゃなかったの?」

「職場の天井が堕ちて大変だったから、

 ある一定の人たちで後は帰っていいって言われたみたいだよ。」

「え〜?マジ?怖いね!だから、さっき電話でたんだ。あっきは?」

「あっきは今大工の仕事あって本柱建ててそのおかげで建て掛けの家崩れなかったって。

 明日その様子見てくるみたいよ。」

「そっかー。本柱って大事なんだね〜。ゆきちゃんは休みなんでしょ?」

「あっきのご実家に行くって。私は....雪崩とか怖いからあんまり行かせたくないんだけど...」

「うん....でも大丈夫なんじゃない。心配だけどさ。ゆきちゃんなら大丈夫だよ。」

「そうだよね...。亜希子は明日も休みっか?」

「うん、休み。電車動き始めてるから、会社の子も明日には帰れるといいけど。」

「そうね。でも、みんな無事でよかった〜」

「んじゃ、並んでるから切るね。」

「はいはい。」


家族の安否は確認できたものの余震と地震警報に胸騒ぎが収まらなかった。

私は余震に怯えながら眠りについた。

ただ、ラジオが真っ暗な部屋で鳴り続けていた。



〜3月12日(土)〜

翌朝、夜が明ける前4時に私は目が覚めた。

相変わらずラジオでは地震警報と安否確認方法、ガスの開け方、節電を呼びかける声

そして各地の地震情報と原発事故の様子、帰宅困難者の様子などを伝え

事態は刻一刻と変化しているのが手に取るように分かった。

私は再度Twitterにログインするとひたすらリツイートで行方不明者や地震に関する

有効な情報を流していた。

そして、6時30分家を出て公衆電話へ向かった。

コール音、しばらくして父の声。


「もしもし。」

「あ、私。どう?眠れた?」

「なんとかな...」

「停電でしょ?どうしてんの?」

「ホッカイロとストーブだ〜」

「大丈夫〜??」

「寒いけど、大丈夫だ。」

「どこで寝たの?」

「1階で寝たぞ。」

「みんなで?」

「みんなって2人でな(笑)」

「あ、そっかゆきちゃん達帰ったんだもんね。」

「んだ。どれ、お母さんに換わる。」

「もしもし?」


掠れた母の声。


「お母さん?大丈夫寝れた?私4時に目さめちゃったー。」

「あんや、寝ねば駄目だよ。でも私もドキドキって胸がざわめく。

 余震が収まらなくてぇ。」

「そう。こっちも。怖くてあんまり寝れた心地しなかった。

 今駅前だけど、電車動き始めてる....今日も出勤してる人がいるよ〜。

 こんな日に..。あゆみたち帰れるかな。」

「あきは休みなんでしょ?」

「うん。ガスが止まってボタン押しても復旧しないから9時過ぎに電話してみてもらう。

 とりあえず水は出るからそっちは大丈夫なんだけど。盛岡停電でしょ?」

「停電だけど、ガスはあるから煮炊きできるからご飯はちゃんと食べてるよ。安心して。」

「そっか。私直ぐに逃げれるように自転車のパンク修理に行ってくる。」

「そう。」

「これから他の親戚にも電話かけようと思って。」

「んだね。かけてやって。じゃね。」

「うん、夜またかけるね。」


電話を切ると私は晴れて何もなかったような朝の商店街を引き返した。

そして忙しくてできなかった、書類関係や家の片付けを済ませガスを明けてもらい

熱いお風呂に浸かった。

幸せと感謝、心地よさ、そして申し訳なさ。

そんな複雑な感情が入り交じった状態で1日ぶりのお風呂を存分に楽しんだ。

頭を洗いながら、「今も寒さに震えている人がいるんだろうな。」と思うと

何とも申し訳ない想いがこみ上げてきた。

そして、今の自分の立場に深く感謝した。

お風呂から上がり、頭を乾かし、Twitterを覗くと急におなかがへり

うどんでブランチ。

ウトウトしていると、大量のメールが届く。

高校の先輩や岐阜の友達、一緒にゲイサイに行こうと言っていた友達などなど。

それに返信して、無事を祝うもそわそわした気持ちが収まらず

Twitterがなんだか苦痛になってきた、胸が痛い、苦しい。

このままでは駄目になる!と思った私はパンクした自転車を引き摺り自転車屋へ向かった。

着いて自転車を見てもらうと、何の事はない両車輪から空気が抜けていただけであった。

私は久しぶりに風を切って自転車に乗って壮快な気分を味わった。

今日明日は自分を癒そう!と決め、食材の材料を大型スーパーで買った。

パンのコーナーは空っぽ。お寿司や弁当類も3/1しか残ってない。

午後一だったが、うららかな土曜の陽気の中その光景が

尋常ではない非日常だと言う事を物語っていた。

私は存分に久しぶりのサイクリングを楽しみ家路に着いた。

しかし、地震で揺れた地面の前を通ると胸のあたりに変な胸騒ぎがあり落ち着かない。

家に帰ると私は自宅にある保存食のカッペリー二でボロネーゼを作って食べた。

「あ、間違った。ボロネーゼはカッペリー二向かない。」

そうめんのように細いカッペリー二。

だんごのように固まりになってなかなかほどけない。

そうめんみたいに今度はスープに浸してたべよう。

そんな事を考えながら、固まりのカッペリー二にかぶりつく。

そして、食後に公衆電話で家族とあたたかい対話。

あゆみも家に帰ってこれたとの報告があり、安堵に胸をなぜおろす。

夜はひたすらボサノヴァを聴き、9時頃ラジオに切り替える。

土曜には大好きな宇多丸さんの「ウイークエンドシャッフル」が運よければやってるはず。

と思い地震情報だけのラジオをオンにしてみた。

威勢の良い宇田丸さんの声が聞こえてきた。

その日の放送は内容を変更して、その日は地震の時あなたはどうしていましたか?

「人間ナメんな!」特集でした。

深刻な中にもフフっと笑えるところがある。

不謹慎でない笑い。

これこそ私が求めた安堵感。

声が安堵を生み出す事もあるんだなとぼんやり考える。

ラジオのスタジオもCDを自動で選ぶ機械が動かないため宇多丸さんが手持ちで

持ってきたマイCDをかけており、自分も地震で大変な中私たちを励ましてくれた事に

深く感謝と尊敬の念を持つとともに、私はこの放送でだいぶ救われた。

私はラジオを消し安心して眠りについた。




〜3月13日(日)〜

遅めの目覚め。

日差しはだいぶ明るい。

福島の友人と連絡が取れる。

3人は無事。

前日、水や食料の詰め込まれたリュックを見つめ

そして部屋の荷物を見比べた時に

「結局今、私の人生はこのリュックの中にしかない。他は全て不要なものなんだ。」

と思った時に笑いがこみ上げてきた。

そして、翌日は不要なものを片付けようと心に決めていた。

私は封印していた本棚に取りかかり不要な本を10冊ほどまとめ

小松菜とひき肉のカッペリー二ペペロンを作った。

やっぱり、ペペロンにもあまりむいていなかった。

食後すぐにBook offに向かい清算してもらった。

¥610なり。

不要なものを処分し心も軽くなった私は隣の駅までサイクリングして

そのお金で軽い甘いお菓子を買い久しぶりに石神井公園へ行ってみた。

沢山の親子連れや犬の散歩、ジョギングを楽しむ人でにぎわっていた。

いつもと変わらない、でも、きっと皆本当は心に不安を抱えているにちがいない。

その不安を振り払う為に、今、ここでいつも通りにしているんだろう。

そういう他人同士なのに不思議な一体感があった。

そして私は散歩するワンちゃんに戯れ本当に心から癒された。

福島のもう一人の友達とも連絡がとれ、最高にハッピーな気分になる。

そして、友人夫婦と長電話。

旦那様が備蓄用の食べ物を食べてしまう..という笑える悩みから

この地震を通して日本は2極化していると話し合う。

同じ日本で起こった事であるにも関わらず平和ボケで他人事としてしか

今回の地震を感じる事ができない人間と

自分には被害はないが我が事のように他人を心配し思いやれる人間と。

Twitterをしていて感じた事でもあったし、チェーンメールや友人の話を総括しても

この非常事態で人間性が出たよね....と言う事を話あう。


自分の事しか考えない人はやはり、普段どんなに偉い事を言っていようとも

メジャーであっても、いざ、こういう時に行動に出てしまう。

あ、この人やっちゃったな、しかも、それに気付いてないな、マヅイな。


私がすごいな、と思ったのはホリエモンと葉加瀬太郎さん。

ホリエモンは自分の所にきた、助けて下さい!というメールをひたすらリツイートし続けてる。

無視したり、辞めたりせず、今もなおずっとやりつづけている。

そして葉加瀬太郎さんもロンドンに居ながら、ずっと日本が大変になった事に胸を痛め

同じく正確でかつ的確な情報、拡散希望の助けてツイートをひたすらリツイートしてる。

他にも、松田優作の奥様、水泳の北島康祐さんなどもエールを送り続けている。

また、史上最強に大都市で大災害が起こったのにも関わらず

暴動なども起きずに冷静に行動している国民性に海外からも

日本人の評価がすごく高くなっている。


私は今日、実は無関心で無感動な若者達を「コアシェイク」する

何か心に火をつけるような内容の日記を書こうと思っていた。

平和ボケで、他の国の出来事に無関心な若者が多くなってきている日本は

私には第二の鎖国状態に思えたならなかったからだ。


不思議な事に、今回地球自体が「コアシェイク」してしまったがしかし

日本人が捨てたもんではない事が判明した。

この「コアシェイク」で私たちは世界と今後強く結ばれるだろう。

真の意味で開国する日は近いだろう。


しかし、その一方でさらに今回振るいにかけられた平和ボケな人々はきっと

時代から取り残され化石のような存在になるだろう。


今日、私は日記を書く事をためらった。

「こんなときに.....」

でも私は書こうと思った。

こんなときだからこそ、私の地震の3日間の記録、真実を。

誰かと比べてどうこうではなく、自分が書く事でしか癒されないのならば

そうすべきだと思ったから。



そして、友人からこんな状態だからこそ絵を描いてよ、と言われた。

今はボランティアも受け付けられない状態にある、東日本の故郷の被災地。

手の震えは少し収まったけど、怖い自分に負けない為にも、描こうと思う。

そして、約束通り、被災者達の心のケアができるような素晴らしい絵を描こうと思う。


どうか、1人でもいいから私の絵を見て癒される日がきますように。


津波に攫われた方々、今もなおがれき下で頑張っている方々、被爆した方々、

そのがれきを除去している自衛隊の方々、被爆を洗浄している病院の方々、

各国から来日してくれた災害派遣チーム、ボランティアの方々、助けたい一心で

あらゆるネット環境を整えている方、また各サイトで有効な書き込みをしている方々、

阪神大震災の経験を語ってくれている方々、これから何かできないか考えている方々、

そして既に義援金などを始められている企業の皆様、義援金に募金をしている方々、

最後に悲しいけれどそのきっかけをくれた地球という私たちの住んでいるこの星に

この日記を捧げます。


追悼の意と私の持ちうるすべて愛を込めて。






La leo litende leo
akieem zawadi

トリアージ

こんばんわ!
新年あけましておめでとうございます!!
akieem zawadiです。

新年一発目は何をどう書こうかと迷っておりましたが
ある情報からシナプスがピピピっと繋がってこのお題になりました。

みなさん、「トリアージ」とは何かご存知ですか?

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「トリアージ」
災害医療等において、大事故、大規模災害など多数の
傷病者が発生した際においての救命の順序を決めるため、
標準化が図られて分類されている。
元々はフランス軍の衛生隊が始めた物で、
野戦病院におけるシステムであった。
フランス革命後の数々の戦争において戦傷者を
身分に関係なく医学的必要性だけで選別した、
フランス語のtriage(選別)から始まっている(wikipediaより抜粋)。
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実は私、1/1に明治神宮にて初詣をして、その後「かに道楽」にて遅めのランチをしました。
大好きな蟹のコースランチ...めちゃくちゃおいしかったです♪
大好きなjun&ayumi夫妻と素敵な元旦となりました。

ところが、翌2日に体調を崩し仕事を早退、初売りの人ごみに紛れて三が日に
営業している病院を探す元気もなく直帰し爆睡。3日目起床すると昨日の具合悪さが
嘘のように治っていたので出勤しました。きっと冷えと疲れでダウンしたのだと思います。

しかし、行ってみると上司より「ノロかもしれないしウツルと困るから。」と強制帰宅命令を受け、
「え〜ノロの症状出てないし、問題ないのに?!」と思いながらも病院探しで彷徨うはめに。
以前お世話になった病院に行ってみた所、当直の先生がおらず事務の方から出た言葉がコレ。

「119番に電話して、今開いている病院を見つけたいと言えば教えてくれるから。」

私は110番や119番は言葉通りエマージェンシーな事態が起こったときにしか
かけてはいけないものだと思っていました。

無論、死ぬほど辛ければエマージェンシー事態ということでその場でかけましたけど
胃が時たま針で刺したように痛むくらいで(以前に何度か経験しているので慣れているのです。)
その時点で吐き気、熱、下痢の症状がなかったので問題ないかなと思ってかけませんでした。
大塚にある区立の病院が運良く開いていたので診察してもらいましたが、胃炎の症状でした。

病状の事は別として、

「こんなにも簡単に119番にかけていいものか?」

という疑問が私の中に残りました。

そんな折に、今日こそは日記を書かねば!と思ってyahooページを開くと
「yahoo!ニュース救急救命」にタイムリーな記事が出ていたので見てみると


[ヘッドライン]
119番システムが仮復旧=つながりにくい状況—東京消防庁
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/first_aid/



[関連情報]
救急車の不適正利用
タクシー代わりや定期的な入退院、外来通院など救急車の不適切な利用が問題となっている。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc%2Fdomestic%2Ffirst_aid%2F



[救急搬送トリアージ]
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/triage.htm


というわけで、この「トリアージ」に行き着いた訳です。

現在、日本ではモギリタイプの「トリアージ・タッグ」を使用しており
判定結果は4色のマーカー付きカードで表示して一般的に傷病者の右手首に取り付けます。
(不要な色の部分は切り取り、先端にある色で状態を表します。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●黒 (Black Tag) カテゴリー0(死亡群)
死亡、もしくは生命にかかわる重篤な状態であっても救命に現況以上の
救命資機材・人員を必要とするため、該当する時点での救命が不可能なもの。

●赤 (Red Tag) カテゴリーI(最優先治療群)
生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの。

●黄 (Yellow Tag) カテゴリーII(待機的治療群)
今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なもの。

●緑 (Green Tag) カテゴリーIII(保留群)
軽度の病症および救急での搬送の必要がないもの。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

この識別カラーは緊急度を図るものなのですが、例えば、赤を白と置き換え
識別の意味合いを「肌の色」とすり替えると恐ろしくなります。
平和ボケの日本人以外にとってはこれは現実問題としてありえる話で
この「差別型トリアージ」に頷いている外国人は多いのではないかと思います。

事実、

ナポレオン戦争時代は、医療的緊急度ではなく、社会的、軍事的必要性の高い人物に
医療資源を集中して軍事、社会システム全体の維持を図る全体主義による「差別型トリアージ」
が行われていたそうですし、クリミア戦争では「差別型トリアージ」で重傷者と判定された患者が
悲惨な扱いを受け満足な治療を受けられずに不衛生な重傷者用野戦病院で次々と死ぬ事態になり
これを救済したのがナイチンゲールであった、と言う記述もあるそうです。

この問題をより深く考えるならば私たちの生死を分ける者(物)は

いったい誰なのか?
いったい何なのか?
分けられた者はどう生きればいいのか?
誰を(何を)よりどころにすればいいのか?

という所まで行着きます。

日本の搬送トリアージに話を戻すと、死亡診断の出来ない(判定を下す事が許されない)
救急救命士がトリアージで「黒」を付ける決断が難しく、心理的な負担が医療関係者以上に
大きい等の問題もあるようで、例えばそこに医療関係者が存在しない場合、誰が死亡宣告をして
どの時点で見殺しにしてしまうのかというのは大きな問題になってくると思います。

結局「死」に直面してこそ、「生」が何なのか見えてくるのではないかと思います。
日本は平和過ぎて「死」との距離がありすぎる。

私はそう思います。

そして「死」が遠すぎるがゆえに、
「生」である明日がずっと永遠に続くような錯覚をしてしまい全てを後回しにしてしまう。

しかし、永遠なものなど、この世には存在しない。
だから、私たちは生きる事への真剣な「トリアージ」が必要になってくるのではないでしょうか。

「死」=「体」「知能」「家族」「愛する人」「家」「お金」...を一つづつ失う事。

だとすれば、

あなたはこの中で最もなくしたくない人や物が失われたらどうその後を生きていきますか?
そうなる前に誰とどういうふうに生きていきたいですか?
すべからく私が今年をどんな年にしたいかと言えば、

「大好きな事を、大好きな人と、思う存分すること」

でしかあり得ません。その為ならどんな事でもします。
もう、迷ってなんかいられませんよ、年齢も年齢ですし(笑)


あなたは、この1年どう生きていきたいですか?
そして、誰と何をしたいですか?
あなただけの未来を、今日は真剣に考えて、明日から行動に移してみて下さい。

この日記を読んでくれた皆様が幸せな一年になるように祈っております。
今年一年もakieem zawadiをどうぞよろしくお願いします。



追伸1

明治神宮にてひいた「おみくじ(二四)」にはこうありました。

「おこたりて磨かざりせば光ある玉も瓦にひとしからまし」

〜なまけて磨くことを怠ったならば、立派な光をもつ宝石も、
 瓦や石ころと同じで、何の役にも立たなくなります〜

とのこと......12月の生活が乱れていただけに痛い所を突かれた気分で
正月早々「は、はいぃ〜!」と大恐縮してしまいました。
神様は見てますよね!お天道様は見てますよね!!

誰に約束するでなく、今年はずっと自分を磨き続けますよ。
変貌しまくりな年にしたいです。
取りあえず腹筋だな。



追伸2

今日は練馬から桜台へ散歩1時間半の散歩をしました。
途中、樹齢800年の天然記念物の大ケヤキに出会いましたが、
こぶがすごくてドキドキしました。

恐怖さえおぼえる物を自然に作り出すんだからすごいですよね。
私も、自然には及ばずとも心臓を鷲掴みするような
ドキドキするものを作りたい!と思いました。

それと、寺や神社の廻りって手打ち蕎麦屋が多いって知ってました??
豊島園「庭の湯」向かいに1件、練馬の観音近くに「山禅」という茶屋風蕎麦屋1件。
昨年、高尾山に登り日本酒と蕎麦のゴールデンコンビに
味をしめてから気になる気になる。

今度、蕎麦屋巡りをするのもいいなって思いました。



A Happy New Year!!!!
I will Dreams Come True This Year!
akieem zawadi

血は赤いのに

どうして人は争いをやめないのでしょう。





■紀元前

デシュの戦い
トロイア戦争
春秋時代
ペルシア戦争
ペロポネソス戦争
コリントス戦争
アレクサンドロス大王の東征
ディアドコイ戦争
サムニウム戦争
ポエニ戦争
イリュリア戦争
マケドニア戦争 楚漢戦争
シリア戦争 ケ
ルティベリア戦争
マカバイ戦争
ヌマンティア戦争
ルシタニア戦争
キンブリ・テウトニ戦争
ユグルタ戦争
ミトリダテス戦争
スパルタクスの反乱
ローマ内戦
ゲルマニア戦争
ガリア戦争
ユダヤ戦争
ダキア戦争
八王の乱 (三国時代) 白村江の戦い
イスラーム教徒のペルシア征服
レコンキスタ
ザクセン戦争
タラス河畔の戦い


■10世紀まで

刀伊の入寇戦争
ノルマン・コンクエスト戦争
十字軍戦争
西夏遠征
対金戦争
チンギス・カンの西征 モンゴル・西宋戦争
バトゥの西征戦争
モンゴルのポーランド侵攻
雲南・大理遠征
フレグの西征
アリクブケの乱
元寇戦争
百年戦争
応永の外寇
志魯・布里の乱
薔薇戦争


■15世紀まで

カンブレー同盟戦争
イタリア戦争
ドイツ農民戦争
シュマルカルデン戦争
リヴォニア戦争
ユグノー戦争
北方七年戦争
八十年戦争
文禄・慶長の役
ロシア・ポーランド戦争
カルマル戦争
三十年戦争
サルフの戦い
スウェーデン・ポーランド戦争
インディアン戦争
アイルランド同盟戦争
イングランド内戦
トルステンソン戦争
フロンドの乱
英蘭戦争
ロシア・波蘭戦争
北方戦争
ネーデルラント継承戦争
オランダ戦争
スコーネ戦争
ファルツ継承戦争
北米植民地戦争
スペイン継承戦争
波蘭継承戦争
オーストリア継承戦争
ジェンキンスの耳の戦争
カルナティック戦争
フレンチインディアン戦争
七年戦争
マイソール戦争
露土戦争
マタータ戦争
ロシア・スウェーデン戦争
フランス革命戦争
アイルランド反乱


■18世紀まで

バーバリ戦争
ナポレオン戦争
イベリア半島戦争
イラン・ロシア戦争
米英戦争
グルカ戦争
スペイン戦争
ビルマ戦争
アルゼンチン・ブラジル戦争
ペルー・ボリビア戦争
アフガン戦争
阿片戦争
ロサス戦争
マオリランド戦争
シーク戦争
米墨戦争
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争
大平天国戦争
クリミア戦争
アロー戦争
セポイ戦争
リソルジメント戦争
連邦戦争
南北戦争
普墺戦争
普仏戦争
ズールー戦争
太平洋戦争
ボーア戦争
マフディー戦争
清仏戦争
エチオピア戦争
イギリス・ザンジバル戦争
希土戦争
米西戦争
千日戦争
米比戦争
義和団戦争


■19世紀まで

日露戦争
伊土戦争
バルカン戦争
WW1戦争
ハンガリー・ルーマニア戦争
露西亜 ポーランド・ソビエト戦争
コト戦争
アイルランド内戦争
満州事変
チャコ戦争
エチオピア戦争
スペイン戦争
日中戦争
WW2戦争
冬戦争
二次ソ芬戦争
独ソ戦争
大東亜太平洋戦争


■冷戦前まで

冷戦
インドシナ戦争
ギリサ戦争
印パ戦争
中東戦争
パレスチナ 戦争
ミャンマー戦争
東トルキスタン戦争
チベット戦争
朝鮮戦争
アルジェリア戦争
スーダン戦争
ハンガリー戦争
チベット戦争
中印国境戦争
ラオス戦争
コンゴ戦争
グァテマラ戦争
ベトナム戦争
ゴア戦争
西イリアン戦争
北イエメン戦争
ベネズエラ戦争
アルジェリア・モロッコ国境戦争
キプロス戦争
マレーシア戦争
コロンビア戦争
ドミニカ戦争
南ローデシア戦争
チャド戦争
ビアフラ戦争
プラハ戦争
中ソ国境戦争
サッカー戦争
北アイルランド戦争
ヨルダン戦争
カンボジア戦争
キプロス戦争
ナミビア戦争
レバノン戦争
アンゴラ戦争
ウガンダ・タンザニア戦争
オガデン戦争
中越戦争
ニカラグア戦争
エルサルバドル戦争
イラン・イラク戦争
フォークランド戦争
グレナダ侵攻
スリランカ戦争
トヨタ戦争
アフガニスタン戦争
オセチア戦争
パナマ戦争


■冷戦中

エチオピア戦争
リベリア戦争
ルワンダ戦争
湾岸戦争
シエラレオネ戦争
ユーゴスラビア戦争
クロアチア戦争
ボスニア戦争
コソボ 戦争
マケドニア戦争
ジブチ戦争
アブハジア戦争
イエメン戦争
チェチェン戦争
ハニーシュ群島戦争
エチオピア・エリトリア戦争
東ティモール戦争
ポソ宗教戦争
カルギル紛争
コートジボワール戦争
リベリア戦争
東ティモール戦争
イスラエルのガザ・レバノン侵攻
スリランカ 戦争
ガザ戦争


■現在も継続している戦争

フィリピン紛争
カシミール紛争
西サハラ紛争
ペルー紛争
ブルンジ内戦
ナゴルノ・カラバフ紛争
ソマリア内戦
カザマンス紛争
オセチア・イングーシ紛争
アルジェリア紛争
コンゴ内戦
インドネシア紛争
アメリカのアフガニスタン侵攻(アメリカ・アフガニスタン)
パキスタン紛争(パキスタン)
リベリア内戦(リベリア)
イラク戦争(イラク)
ダルフール紛争(スーダン)
サリン紛争(ナイジェリア)
タイ紛争(タイ)
タジリスタン紛争(パキスタン、アフガニスタン)

(独立・多国籍除く)


■図で見れる戦争の歴史
http://nobelprize.org/educational/peace/conflictmap/conflictmap.html

*中央のバーを動かすと戦火の場所が変化、戦火にポイントを合わせると右下に解説




赤い血を流して、いや、流さないと私たちはお互いを理解する事ができないのでしょうか。

私たちが統一民族ならこんな事はおきなかったのでしょうか。

「バベルの塔」のように、傲慢にはならなかったでしょうか。



戦争に限った事ではなく、この日本にさへ隣人を理解できないことで

絶え間なく諍いは静かに起こっているのです。


異なっていたら、相手をねじ伏せる。

理解できないから、のけ者にしてあざ笑う。


そういった、人間の感情(優劣を生み出す意識)、

相手に対しての思いやりや理解度の欠如が

こうした戦争を生み出す根源ではないのでしょうか。


武器を持たせ、極限状況になればいつだって

この平和な日本でさへ戦争が起きかねません。


私たちのDNAが戦う事を指示する物であろうとも

それをしない努力

真の意味での「バベル」を築いて行かなければいけないのではないでしょうか。


一人一人の努力でしかそれはなし得ません。

人は集団になると、得てして自分の考えとは別の行動をとろうとするからです。

勇気を出して、一歩を踏み出して下さい。


肌、宗教、言葉、文化、民族、、、異なっていようと「血」はみな赤いのです。

真の理解、思いやりそれが何なのか考えてみてください。

そして異なっているから素晴らしく、だからこそ、響きあい、歩み寄る努力で

相互関係は成熟していくのではないでしょうか。



この日曜の朝、世界が平和になるように祈りを込めて全世界にこの日記を捧げます。




akieem zawadi



こんばんわ!
akieem zawadiです。

やっぱり、「こんばんわ」の方がしっくりくるなぁ〜。
ところで今日はイベントまでの11日間に行った写真展のお話をしようと思います。



いつだったか、雨のしこたま降った9月中旬あたり
私は朝からずっと「天女の絵」と格闘していた。
バックの色を何度も塗り直していたからだ。

クリーム色→ショッキングピンク→紫→ターコイズブルー→白→クリーム色→オレンジ
→朱赤→黒→カーキ→水色→ワインレッドに黄色い模様→ベージュ→コーラルピンク。。。

という感じでまったくお話にならず、序々にイライラしてきたのだった。

始めは両サイドにカーテンのようなものを付けていたがバランスが悪く
グリーンのカーテンにコーラルピンクでは「いかにも天使ですけど?」
という感じになってしまったし、
ワインレッドに黄色い模様の時は悪趣味の極みでしかなかった。

気付けばもう17時になっている。。。
このまま描いても埒があかないと判断し、
何か見ようとお出かけ&アート資料をめくり始めた。
そのとき、見つけたのが

世界基金/マグナム・フォト 共同制作写真展「命をつなぐ」
マグナムの写真家が見たエイズ治療の最前線

だった。


時間的にも、会期的にもギリギリだったから直ぐに準備して電車に飛び乗った。
場所は有楽町朝日スクエアのギャラリー、有楽町マリオン11階。

この写真展は、世界エイズ・結核・マラリア対策(世界基金)が
世界的報道写真家集団マグナム・フォトと共同プロジェクトで制作しており
エイズの流行と深刻な被害に注目しているものではなく
HIVに感染した人々を治療し新たな感染を防ぐ目的で
治療を開始した患者と家族がどのように変化していくか、
8人の写真家たちによるその実録の写真展だった。

私もこの写真展にくるまでは、『エイズ=死」の病気だと思っていた。
しかし、現在では新薬が貧困地域では無料で配られるようになり、
回復に向かうケースが多いのだという。

また、写真の多くは普通の奥さんだったり、旦那さんだったり、子供だったりした。
同性愛や薬物使用が主な原因ではなく夫婦間での感染だったり、
ビタミン注射のまわし打ちなど普通の生活の中で
感染していく事実が浮き彫りになっていた。

よく考えれば、同性愛者や薬物乱用する人の方が現時点では少数派であると思う。
しかし、ここまで感染する事を考えるとやはり普通に
気付かずに感染していくと考えた方が自然だ。
知らないという事がどんな偏見を生むか示しているいい例だと思う。

大小のモノクロやカラーの写真を見て、そして患者の肉声のテープや歌声を聴いて
自分と何も変わらないのだと思った。

ひどく深刻で恐ろしい病気というのは幻想だ、と思った。
(もちろん回復せずに亡くなるケースもあるが)

母の病気の癌だって、同じ事だと思う。
この病気にかかったら、終わり。
という考え方自体が無知で偏見を生む原因なのだと思う。

遅かれ早かれ、どんな死に方か分からないけど私たちは必ず死に向かっている。
おばあちゃんみたいに事故死する可能性だってある。
30半ばの私だって例外ではないはずである。

若ければ若いほど、死への距離は遠くに感じられ
私の言う事などは届かないかもしれない。
だけど、リミットがあるからこそ人は輝けるのだし、だからこそ生きている今が大事で
隣に居る人の人生もまた、大事なんだと思う。


既にこの写真展は現在終了しており、
次はニューヨークの国連ギャラリーに展示されるそうだ。

この写真展では、エイズに感染し治療をし回復する事で新たな希望を産み
逆に輝き出した感染者達に焦点を当てている。

閉館時間が迫りすべてを見る事はできなかったが、
私は足早に帰宅し再び筆を握り絵に向かった。
右上にツバメ、右下に蓮、ワインレッドに金粉、そして花びらを散らせ、サインを入れ
その日中に絵が完成した。


そして、気付いた。


人生に真正面から取り組んだとき、
絵にも真正面から向かう事ができ、
そして素晴らしい絵が描けるのだと。


愛も悲しみも苦しみも、すべてを味わい尽くして素晴らしい絵を描いていきたい。
私らしい私を追求し、常に形にしていきたい。
よくはわからないけど、近々大きく自分の人生が変わりそうな予感がする。



Big kiss &Dream
akieemzawadi

生と死を分つもの

こんばんわ!
akieem zawadiです。

新聞紙面やニュースで「自殺」「事故」「天災」などここ最近多くの人が
亡くなっていることが毎日報じられています。

「なんだかへんな、こわい時代だよね。」

こんな言葉で終ってほしくないので、今日は私が絵を描くきっかけになった
祖母の死の事を書こうと思います。



私が小学低学年だった11月のある日、
私は街のデパートの催事を見たいとせがんで見に行きました。
帰りは6時くらいだったでしょうか。

バス停から降り、横断歩道のない道を私と祖母、妹は渡ろうとしていました。
祖母はその日「踊り」を習う日で帰路を急いでいました。

そのときです。
私は対向車線からヘッドライトを光らせた車が来るのをみていたのですが、
祖母と手を繋いだ妹が車に気づかず渡ってしまったのです。

私の「あぶない!」という声も届かず、大きなブレーキ音と
衝撃音があたりに響き渡り、そこには頭から血を流した祖母と
泣き叫ぶ妹の声、衝撃を物語る靴が3m先くらいに散らばっていました。
救急車で運ばれる2人を見送る自分の足が地面についてないような気がしていました。

私が呆然となっているとあっという間に人垣ができ、警察が事情徴収にやってきました。
私は足がガクガクと震えだし、なんと答えたかわかりません。
近所のおばさんが、「かわいそうじゃないの!」
と訴えてくれていたのを覚えています。

近所のおばさんに泊めてもらい、翌朝学校へ行こうと自宅へ戻ると目を真っ赤にした父が
「今日は学校へ行かなくてもいい」
といい、祖母が亡くなった事がわかりました。

葬式の時、わんわんと大声で泣く父の横でつられて泣きじゃくった自分がいました。
冷たくなった祖母には絆創膏が沢山張ってあり口に水を含ませましたが、
横に伝って流れてゆくのを見て「死」というものを目の当たりにしました。


そして
この後私は数十年と

祖母を誘った自分、
手を繋いでいなかった自分、
祖母を救えなかった自分を

責め、生きている、生かされている意味を問うてきました。
生と死を分けたものはなんだったのか、ずっと考えてきました。

そして見つけたのが「絵」を描く事でした。

自分にある才能で誰かを喜ばせたり、感動させたり、衝撃を与えたりする事で
私は人とつながりたいと言う事がわかったのです。
それが私の生きる使命だと悟ったのです。


実は今日、自身の体調の悪さ、母の再入院など「死」と言うものを強く意識しました。
私がもし近いうちに死んでしまったらどうなるか。。。。

初めて明日を迎えるのが怖くなり、足が竦みました。
そしてやり残してきた事

夢を果たせないこと
愛する人への告白ができないこと
家族への恩返しができないこと
支えてくれた友人達にお礼できないこと

を考えたら、悔やまれて涙が止まらなくなりました。
そして決心しました、死ぬまで精一杯生きると。
生きている間中キラキラと輝いていたいと。


日本は長寿大国になり「死」が隠されるようになったような気がします。
老人の行方不明の話や若者の集団自殺もそうですが、「死」に対しての意識の低さ
見た事のない「死」への憧れでそのような状況が生み出されているような気がします。

戦争や貧困がある地域では、「死」がそこら中に転がっています。
しかも、非情で過酷で生々しく凄惨であると思います。
生きるという事にもっともっと執着し、どう生きるか、生き残るかを
考え明日を思い暮らしているはずです。

比較するつもりはありませんが、もっと私たちは「死」と言うものから
今を生きるということについて深く考えなければいけないと思います。
日々流れているニュースの中に、自分の身近の中に「死」を見つけたならどうぞ
自分の「死」と「生」を見つめ、考えてみてください。


最後に
終戦記念日の今日までに地球上で亡くなった人たちすべてを
追悼してこの日記を捧げます。


追伸

本日は早朝yogaへいってきました。
park yogaなので朝日を浴び草木のにおいや地面を感じながらのyogaは
本当に心地のよいものでした。
自分を見つめ、地に足をつけて歩くためにもyogaを続けようと考えています。




Big Kiss & Dream
akieem zawadi

Profile

HN:
Akieem Zawadi
性別:
非公開
職業:
ARTIST
趣味:
散歩 ・小説書・ 涙を流すこと
自己紹介:

海外のファンが多く、色彩感覚と切り取る目線がその人気の鍵。

日々の考えや恋愛、食べ物、読み物、音楽、アートとあらゆることに関してエッセー調に書き綴っている。

夢は、世界中の夕日と朝日を愛する+1と見に行くこと。世界中のあらゆる食べ物を食べ歩くこと。

 

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