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こんばんわ!
akieem zawadiです。

今日は、以前から思ってきたことが
震災後現実的かつ、クリアになってきたので書いていこうと思います。

震災後、私の友人の住む福島の原発が津波によって
爆発し放射能によって国土が被爆してしまった。
福島だけでなく、これは日本全部が被爆してしまった、という事である。
これは可能性うんぬんではなく、間違いなく事実だ。

国や自治体が国を捨て、日本人を国外に逃がすような措置はできたかもしれない。
そして、そこに住む人も国外へ逃げられたのかもしれない。
チェルノブイリの教訓を活かせたかもしれない。
でも、それは現実的には不可能だった。
精神的にも、物理的にも、倫理的にも、無理だった。
私も含めた日本人である私たちはこの現状を「受容」するしかなかったのだ。

結果、我々は放射能の影響で間違いなく未来の子供たちの姿が
癌・白血病・奇形・知能障害・発育障害などの病に犯されて
生まれてくる事さへ「受容」したということを意味することでもあった訳だ。

同時にこれはどういう事かというと、
国と戦う、自治体と戦う、世間の偏見と戦うという事である。
戦う必要がある、という事は即ち、その身に置かれている人々というのは
マイノリティーである事を意味している。

あなたは「癌」と聞いたとき何を真っ先に思い浮かべるだろうか?
「癌=死」と思い浮かんだ方は少なからずいるだろう。
しかし、身近に癌にかかっている者がいるとそれは偏見であると言うことがわかる。

例えば、以前にも書いたがうちの母親は癌になり放射線治療を行なった。
本人はいたって元気で外にもでて歩いたり、大好きなシャンソンを歌ったりと
治療後の今は回復しているのだが、いざ外を歩くと病気を知っている皆の目線は

「今にも死ぬんじゃないか、もう、この人の命は僅かだという目で見られる事に
 ひどく腹がたった。」

と語るように、世間の目というのは得てしてレッテルを貼って見たいように見るのである。

つまりは、生きている、人生を楽しみたいと思っている相手に対して
悲壮感たっぷりな同情の目が注がれているという事と同時に
事実を知らないのだという事を示している。
これは病気に対する偏見だとか、どうすれば治るのかなどの
情報が著しく欠如しているからに他ならない。
しかし、マイノリティーでなくなれば等しく正しい知識がもたれるので
偏見はなくならないにしても少なくは成り得る。

これは健常者と障害者という立場の間においても同じ事が言えるだろう。
奇形・知能障害・発育障害の方に対して、どう考えるのか、そして隣合わせた時に
あなたはどう行動してしまうか、どう行動するべきなのか、考えた事があるだろうか。

「バリアフリー」

という言葉や施設が存在する。
だが、今までの施設数や知識では足りなくなる日があと5年もすれば必ず訪れる。

特別な訓練や環境、本人の物凄い努力によって実生活に支障の無い方もいるだろう。
しかし、大半は施設や家の中に閉じこもっている場合が多いのではないだろうか。
何故ならば、健常者に合わせた施設を歩いて回るのは一苦労な上に、いや応なしに
偏見の目に晒され、居心地が悪いからからである。
だから、今までならば目に触れる機会も少なく、よって見えない「バリア」が存在していた。

それが5年後、10年後はどういう状況になっているかというと
病や障害を抱えた人々が街に溢れるようになる。
そして、否応なしに私たちの目に触れる事になるだろう。

お金持ちでも、貧乏人でも、有名でも、一般人でも等しく
病を抱えた子供が生まれる可能性が高いわけだ。
それは私の子供かもしれないし、あなたの子供かもしれない。
親戚の子供かもしれないし、友人の子供かもしれない。
運良くそうでなかったとしても、子孫はそうなるかもしれない。

こうして身近になったとき、あなたどう思い、どう行動するか。

そこがこれからの日本の成長の原点になるのだから
決して目を空してはいけない事だ、と私は言いたい。

もしかしたら、知らない間に命が奪われるかもしれない。
もしかしたら、悲惨な家庭事情により、目も当てられない事件が起こるかもしれない。
もしかしたら、偏見が街に溢れ、今までよりももっとトゲトゲした社会になるかもしれない。

でも、それまでの5年間の間に心の準備をしていてもいいんじゃないか?
もっとできることはあるよ、私はそういいたい。

いままで、ずっとずっと思ってきたこと、
それは「健常者が普通だ」という一般常識はもはや完全に古いということ。
その「普通」に病や障害を持つ人が合わせる、という形は本来おかしいということ。
車椅子に乗っているのも普通だし、キーモで髪が抜けるからカツラを被るのも普通。
手がある事と無い事は同時に普通であり、病で滑らかな言葉が出てこない事も普通である。
周りにいる者に一般常識として、その病についての正しい知識や認識さえあれば
その病気や障害はないも同じであるのだから、それはその人の一つの個性と
いうだけのことになる。

とはいえ、見ていられない程に悲しい現実と言うのもきっと出てくるだろうと思う。
その時の心構えとして、私はこの文を読んでいる方全てにお願いしたい事がある。

それは、

「あることと ないことは おなじこと」

と言うことを繰り返し自分に言い聞かせて欲しいということである。

例えば、あなたは健常者で暮らしていくのに何ら問題はないかもしれない。
でも死にたいくらいに孤独かもしれない。
では、どういうことなのかというと「心がないこと」になる。

実際、病気でもなく、手や足もあり、脳に障害もない人間が「孤独」に陥り
この世に存在意義をなくしている場合が多くあり、とてつもない「孤独」を背負い、
結果的に命を断つケースは多くある。
また、その「孤独」のはけ口を弱者に向けて、児童虐待などの事件も多発している。

なぜそのような事が起きるかというと、それは「心」が荒んでいるから。
心が減ってきて、無くなってしまっているから。

「心」が荒むと人は人に対して、どんどん鈍感になり、無関心になり感情を失ってゆく。
そして対峙している人間にどこまでも酷い行いを繰り返してゆけるのである。
見てみぬ振りをして、相手にとって一番惨たらしい事をして平気になる。
「心ここにあらず」そんな人間が今の日本に数多く存在している。
では未来もそんな人間が増えて、暗い世の中になってゆくのだろうか?

そうならない解決方法が一つだけ、ある。

それは、私達が「持たざる者」と思っている「病」や「障害」を抱えている人と触れ合うこと。
「病気の知識やどう接してあげるのがベストか」学校の勉強と同じくらい学ぶ事、
いや、心と体に叩き込む事。

それが私がこれからの日本を救うやり方だとハッキリ言わせていただく。
そうすれば、彼らが実は「持つ者」で自分たちこそが「持たざる者」だ
という事がハッキリするだろう。
「心」のガソリンが満タンになり、暖かくなり、「孤独」は消え失せ「笑顔」に力が漲るのが
手に取るように分かり本当の生きる喜びを味わう事ができる。

怒り、悲しみ、喜び、楽しみ

この感情を等しく、「分かち合う」こと。
無関心を関心に、無感情を感情的に、等しく、フラットで心地よい日本の姿。

未来の子供がどんな姿であろうとも本当の意味で「受容」する準備。
この5年はそのための、心の準備期間であり、学びの期間である。
その過ごし方によって日本の未来は良いものへと変換されてゆく。
間違いなく、素晴らしい「心の福祉国家」となって世界に誇れる国になる。

日本人として、私は誇りを持って生きたい。
だから私はすべき事を今後してゆくつもりでいる。


最後に
愛すべき誇り高き
福島に住む友人と私の未来の子供に
今日この日記を捧げます。



追伸

実はこの日記のタイトルは最初
「ロシアンルーレットと赤ん坊」というものが頭に浮かんでいました。

でも、妊婦さんやこれから子供を産もうとしている方にとって
辛辣すぎる印象を与えると思ってやめました。
誰のもとに、どんな子供が生まれようと
受け入れる場所さえあれば幸せになれる
そう信じて今のタイトルをつけました。






La leo litende leo
akieem zawadi
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Profile

HN:
Akieem Zawadi
性別:
非公開
職業:
ARTIST
趣味:
散歩 ・小説書・ 涙を流すこと
自己紹介:

海外のファンが多く、色彩感覚と切り取る目線がその人気の鍵。

日々の考えや恋愛、食べ物、読み物、音楽、アートとあらゆることに関してエッセー調に書き綴っている。

夢は、世界中の夕日と朝日を愛する+1と見に行くこと。世界中のあらゆる食べ物を食べ歩くこと。

 

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