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こんばんわ。
akieem zawadiです。

今日(11月21日)はおばあちゃんの命日です。
私にとって大事な日。
そして、絶対に忘れられない日です。

以前、日記に書きましたが私は祖母を交通事故で亡くしました。
祖母を展示会に誘い、見に行った帰り道横断歩道ではないところを横切って
私だけが横切らずにそこに佇んでいた....
私にとって、そして家族にとって生死の明暗を分ける出来事でした。

その後、私は自責の念に苛まれ数十年と暮らし事ある毎に堂々巡りを繰り返してきました。
目の前で人が亡くなることを見なくてはいけない者がいるのだとしたら
どうして私だったのか?なぜ私が生き残ったのか?

何度も繰り返された自問自答でした。

そして何も知らずに育った他の子達とは明らかに
生死感における「溝」が出来てしまった事も感じていました。
もともとの感受性の強さに加え、幼少期に見せつけられた惨事。
明らかに私の中に影の部分を作り出し、そのシャドウが自分にベッタリと
張り付き物事が上手くいきかけると徐ろに頭をもたげ
物事を上手くいかないように向かわせるようでした。
そして、この思いは誰にも相談できずにいました。

今だから話せますが、地元にいた頃に物事に行き詰まり、
夜にも関わらずおばあちゃんの墓石の前で泣いたこともありました。
それくらい、誰にもこの思いは理解されないものだと感じていたのです。
顔では笑って心で泣いて、まさに道化の気分だったような気がします。

もしかしたら、自分だけが幸せになってもいいのだろうか?
という気持ちもあったのかもしれません。

「時間が経てば解決するよ。」

経験のない方は簡単にそうおっしゃいます。
しかし、私から言わせれば時間では解決できない場合もあります。
悲惨な記憶というのは言わば爆弾を心に秘めて生きていくようなもので
自分が完全に忘れていると思っいても暴発する可能性があるのです。

ここで、心の中の不発弾が暴発した私の経験を話して置きたいと思います。

20代中頃だったでしょうか、盆休みの夏に私はバイク事故を目撃しました。
と言ってもバイクで転倒した青年を通行人のみんなで脇に寄せて
二次的な事故を防ぐという感じでした。

命に別状はないのは分かっていましたが
彼の足からは血が滴り、みな救急車の到着を待っていました。
私は用を足すためにその場を離れ帰宅しました。

その日は問題ありませんでしたが、その翌日に体調に異変が起こりました。

朝のトイレを済ませドアを開けてそのまま崩れるように倒れたかと思うと
手足が痺れピンと伸びて痙攣が始まり、泡を吹き始めそれに気付いた母が

「あき!あき!大変、あきしっかり!どうしたの?あき!!!」

と体を揺さぶりました。
私は「ダメだ...死ぬか障害が残った体になるかもしれない。」とその瞬間に覚悟しました。
それくらい、自分の体が尋常じゃない状況になっていると感じました。

しかし、徐々に収まりお盆で人もやってくる事から救急車は呼ばずに
父が外回りから帰ってくるまでキッチンの床でぐったりと寝そべっていました。
体は重怠く身動きが厳しいながらも普通に動けるようになったので病院にも行かず
そのまま回復へと向かい今日に至るわけですが、病気の前兆などもなかったので
思い当たるとすればバイク事故を目撃した事しか考えられませんでした。

自分でも記憶は忘れ去られるものだと思っていましたが、この一件があってから
記憶は不発弾のように私の体の一部となって存在しているのだな、と思うようになりました。

この不発弾が怖くて、私は故意にテレビを見なくなりました。
延べくまくなしに流れ続けるニュースに私は容易く傷ついてしまうからです。
震災直後に再び自分の身に何か起こるのではないかという恐怖に怯え
なるべく衝撃的な映像を避けるようにしていたのは、
この心の中の不発弾が暴発しないように身を守っていたからです。

ボランティアに行ったのが今頃になったのも実は
この「記憶の爆弾」を暴発させない為だったのです。

私の経験はとてもパーソナルで、誰かに話したからと言って理解されないだろう
以前の私ならそう答えていたと思います。

しかし、この震災では多くの方が私と同じかそれ以上の経験をしてしまったと感じ
だからこそ私に出来ることがあるだろうと思うようになりました。

不謹慎かもしれませんが、この震災が私にとっての「溝」や「孤独感」を
埋めてくれた可能性は高いと思います。
彼らの気持ちが分かる、そして、今後数十年と彼らの記憶は消し去ることはできないし
私よりも遥かに危険な不発弾を抱えながら生きてゆかねばならないことも懸念されます。
だからこそ私が回避する方法はあるはずだと考えているのです。

ボランティアに行ってから、私はやはり傷つき泣いて
暮らしていたことは先日の日記で書きました。

しかし、この状態が一変する出来事がありました。
実は数日前、お気に入りの公園を散歩していたら近くのお寺から抹香の香りが
してきたかと思うと頭の中で「あきちゃん、あきちゃん」と呼ぶ声がしました。

私はすぐに「おばあちゃんだ!」と分かりました。
実際に耳に聞こえるわけではないのですが、なんとなくそう感じたのです。

「ずっとあなたを見てきたけど、もう自分を責めないで。」

そうおばあちゃんは繰り返しました。
私は立っていられなくなり、近くのベンチで泣きながらおばあちゃんと会話をしました。
なぜ今になって...?

「会いたい、おばあちゃんに今までの事を全部話したい、会いたいよ!」

私は繰り返しました。
夢に出てきたりはしましたが、おばあちゃんは私の問いにずっと無言でした。
ただ、聞いてくれている、見守ってくれている、そう信じて墓参りなどでずっと
語りかけていたのです。

「もう、いいんだよ。あきちゃんの気にしている事はおばあちゃん応援するから」

そう言ってくれました。
ずっとずっと心待ちにしていた言葉。
私の背負い続けた重い荷物をようやく降ろせた感じがしました。
だからこそ、この言葉を信じよう、素直に行動しようと心に決めたのです。

この声は私がそう言ってほしくて頭の中で作り出した幻想だったのかもしれません。
人は私の体験を信じがたい、私の何か病気の前兆かと疑うと思います。
実際にそうかもしれません。
でずが、私にとっては過去の体験から立ち上がるための重要なステップだと思えました。
おばあちゃんの声は一生のうちに聴けるか聴けないかの
大事な人生に対するメッセージだと感じました。

きっと、震災で被害に合われた方も同じような経験を今後してゆくはずです。
だから私なりに気持ちを「分かち合える」ように今から行動してゆきたいと思います。

私のような経験をした方の力になりたい。
そうすることによって、きっと私自身の開放につながると思うから。
今日という日を今後は人生の出発の人して再出発していきたいと思います。



おばあちゃん

声が聞けて嬉しいよ。
おばあちゃんの声が私の生きる指針になったよ。
背中押してくれてありがとう。

もっと自分の弱さや脆さや危うさを曝け出して
誰かがそれで救われたら私は嬉しい。

もう、道化はいやだから
私らしく生きたいと思うよ。

この日を自分を受け入れた日としてこれから
大事にいきていきたいと思うよ。

おばあちゃん、また会う日まで。
たまに恋の相談にも乗ってね。

じゃあね。







La leo litende leo
akieem zawadi
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Profile

HN:
Akieem Zawadi
性別:
非公開
職業:
ARTIST
趣味:
散歩 ・小説書・ 涙を流すこと
自己紹介:

海外のファンが多く、色彩感覚と切り取る目線がその人気の鍵。

日々の考えや恋愛、食べ物、読み物、音楽、アートとあらゆることに関してエッセー調に書き綴っている。

夢は、世界中の夕日と朝日を愛する+1と見に行くこと。世界中のあらゆる食べ物を食べ歩くこと。

 

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