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こんばんわ!
akieem zawadiです。

一昨日、陸前高田ボランティアツアーから戻ってまいりました。
いや~...正味2日間のほんの短いボランティアでしたがとても凝縮された2日間でした。
予告どおり体をフルに使ってまいりました!!

本日はその時の様子や、知人、友人から聞いた話も交えて私なりに考えた事
そして皆さんにお願いしたいことなどを書いて行こうと思います。


初日、私達を乗せたボラバスの車窓からは夜明の濃霧から抜けたと同時に
悠然とした高い山々が見え、遠くに小さなオレンジ色の粒粒の柿のコントラストが
田園風景をより田舎らしい景色に見せ、思わず隣り合わせた若い大学生と共に
感歎のため息が漏れた。

まるで日本画でも見るように2人でうっとりしているうちに
陸前高田ボランティアセンターへ一番乗りで到着した。

ボランティアセンターは、その日に出されたボランティアの要望に
ボランティアスタッフをマッチングさせる役割を持っているのだ。

添乗員が受付を済ませる間に、着替えをしたり、トイレ休憩をしたりする。
ぞくぞくとバスが押し寄せ砂利の駐車場にはおよそ10台くらいのバスが止まる。
その日だけで1000人を超えるボランティアスタッフが到着していたと聞いて感動。

まるで出稼ぎ労働者にでもなったかのような私たちのバスを笑顔で大手を振って
送り出してくれるボラセンの若いスタッフ達の何たる頼もしいことか。

添乗員、9回もボラバスに乗っているベテランの参加者に話を聞くと
陸前高田のボランティアセンターはすごく対応がよく、宮城に比べ、
復興が進んでいるとのことだった。
津波に慣れている地域だからなのか、県民性なのか.....なぜだかは分からないが
1000人を素早くマッチングした後に丁寧に説明をする、その迅速さと正確さから
なるほど、その理由がわかるような気がした。

1時間ほどして、陸前高田の海が見え始めた。
その日は快晴で海面がキラキラ光っていて凪も小さく
本当に美しい穏やかな海が広がっていた。

しかし、それとは対照的に、いくつかの大きな瓦礫の山と車の墓場、
波が5階中3階まで到達したと思われる鉄筋コンクリートのマンション、
足元が海に沈んだ鉄塔などのみを残して
あとは草が生え放題の広大な空き地状態になっている
陸前高田の街はあまりに悲しすぎた。

震災から8ヶ月。

東京にいるとあまりに普通すぎてあたかも「復興」が順調に進んでいるかのような
錯覚を覚えてしまうが、陸前高田この光景を目の当たりにすると
あっという間にこの幻想が打ち砕かれ、同時に東京と被災地の間にある
開きすぎた「時差」と「温度差」を感じずにはいられなかった。

初めての参加者は各々、デジタルカメラを取り出して写真を撮り始めた。
私は最初から、写真を撮るつもりはなかった。
というのは写真だけではこの悲惨な状況を伝えることは難しいと思っていたからだ。
街だったという証がほとんどない空き地のような土地、そして間近で見ると小高い山
とも思えるぐらい巨大な瓦礫の山も遠くから撮ると本当に小さく見えてしまうからだ。

ここでなぜ、私が陸前高田を行き先に選んだのか書いておきたい。

震災のあったあの日、私はラジオに噛り付いて事の成り行きを見守っていたが、
早い段階で「陸前高田は壊滅状態です。」と
声高に叫ぶアナウンサーの声に寝付けぬ夜を過ごした。
つまりは、今になってもその声が頭を離れなかったからだ。
もしかすると、行くなら高田と震災からすでに決めていたのかもしれない。

そうこうするうちにボランティアの現場に到着した。
マッチングしてもらった仕事は佐藤さん宅の畑の掘り起こしをするという内容だった。
事前にご遺体や遺品が出てきた際の注意点などを聞いていたことを再度思い出し
避難経路を確保し指示のもとスコップ片手に作業に取り掛かる。

畑というより大きな石ころが沢山転がった未開拓の硬い土を耕すような感じだ。
あたりを見回すと防波堤の一部が決壊して、新たに補修工事が行われているが
そこだけプールのように水が溜まり、以前道路だったと思われるコンクリートの
ブロックが沈みかけた状態のままになっていた。

茶目っ気たっぷりな佐藤さんが、「あれはマイビーチだよ。」と言って周囲を和ませる。

私達はスコップで掘り起こした後、石ころを篩にかけてもとの畑に使えるように土を
柔らかい状態にした。中からは石、建物や道路、防波堤の羽片の他、ガラス、鉄くず、釘
タイルなのども多くみな怪我には最新の注意を払って作業を進めた。

角スコップを持って作業をしていたが、地面の砂利が硬すぎてなかなか掘れず
途中で剣スコップに掘りやすいからと変えてもらう。
手でひとつひとつ砂利の土を払いのけ繰り返し一厘社に載せても湧き出てくる砂利や釘。
見る見るうちにゴーグルが曇り、上着を一枚、また一枚と脱ぎながらの作業となった。

スコップなど人生で持った事のない私の手がたった2時間で笑い出したとき
本当に自分の無力さ、非力さを感じ、あの高田の町全体の整地するだけでも
膨大な時間がかかると予想され、気が遠くなる思いがして軽く眩暈を覚えた。

あっという間にお昼が来て配給されたお弁当を壊れた漁船の上で
他の参加者と一緒に青空の下食べることにした。

すると、その漁船には特殊なグラスファイバーを使っているから気をつけたほうがいい
という声が他のボラバスの運転手さんと別な男性参加者からかかった。
船にガラスが使ってるとは夢にも思わず、びっくりしてその参加スタッフに職業を尋ねると
工場や大規模な会社の特殊な床塗りをしていて日本ではまだ職業名がないという方で
私と一緒に青空ご飯を食べた女性の方は写真美術館の学芸員の企画担当の方だった。

他にも某大手会社の部長の方やフリーのCGデザイナー、イラストレーター、翻訳家など
大人の方は様々な肩書きを持った方が多く話しを聞くと実に面白い。

若い面子では10代の大学生から時期卒業を迎える4年生の大学生などが参加していて
本当に生き生きと働いてくれた。やっぱり、ボラには若い力が必要と痛感。

14:00に仕事を終え、佐藤さんから震災直後の話を伺う。
写真を見ながら、この辺は海水浴場だったが地盤沈下で浜がなくなったこと
佐藤さんのお父さんは電信柱に捕まって助かったこと、お母さんも足を怪我したが
助かったことなどを話してくださった。

「とにかく、まわりはいいから自分が助かるように逃げてください。
 助かることが大事なんだから。他の人は気にしなくていい。
 助けようとして亡くなった人もいるし、助けたのに2人とも亡くなった人もいるし...
 あのときはまず...悲惨だったよね。一番悲惨なのは、車で逃げるときに通行人を
 はねてしまった人がいたごとだね~。」

と語る佐藤さん。
その集落はとても狭く、顔見知り同士いうのがさらに不幸を招く結果になってしまうのだろう。
みな、黙って話を聞いた。参加者から、この土地はどうなるのか、
またこの土地に住むのかという質問があがる。

「こごは畑にする~。だって住めないもの~。住むにはあそこの山を切り崩すしかないし
 そのために今伐採作業をしているところだあ。」

という答えが返ってきた。
畑はいいね、という話でみな笑顔になる。
自分達が耕した場所に命が宿るのは気持ちのいいものだ。

佐藤さんにこやかな笑顔と大きな夕焼けに見送られながら
自分達の耕した土地を後にしてもと来た道を引き返す。

ボランティアセンターへ戻ると嬉しい事にコーンスープとお菓子が配られていた。

滋賀県からボランティアのスタッフに向けて用意されたものだった。
汗をかき疲労している体にこのコーンスープの塩気と温かさ、
チョコの甘さがなんと染みること。
おまけに、ゆるキャラの「ひこにゃん」ストラップまで特別に頂いてしまって
女性陣はこの上なくテンションがあがりまくる。

私達はまたバスに乗り込みホテルまでの3時間みんな眠りまくっていた。
窓にはときより真っ暗な中に車のライトで基礎だけになった
家々が浮かび上がっては消えていった。

そして宿泊地の「浄土ヶ浜パークホテル」について、落ち着いてから
ビュッフェスタイルの食事にビールで宴会が始まりだす。
汗を流した男性のほとんどはこの酒飲みTimeを楽しみに
していたらしく次々に栓を抜き始める。

大学生の男の子に今のうちに世界に出ろ!のおじ様たちの大合唱が始まり
タジタジの男の子....なんだか、個性的な面子がそろっているようで面白い。
あっという間にお開きになり、各々部屋へ向かったり大浴場へ向かったりする。

部屋は4人の10~20台のかわいい女子大生と一緒で、電気を消して
流れ星を見たり、逃がしてもわいてくるカメムシと戦ったり....
まるで卒業旅行のような感じで楽しい。
そして、楽しみにしていたお風呂にIN。

浄土ヶ浜パークホテルは高台にあったことから運よく津波の被害から逃れ
8月に営業を再開、10月には露天風呂が再開するなど
地元でも頑張っているホテルのひとつ。
ボランティアツアーでは花巻の内陸のホテルに宿泊するケースもあったが
私はどうしてもこのホテルに宿泊したかった。
幼少に浄土ヶ浜の砂利の浜辺で海水浴をした思い出があったからだ。

星空と松林を見上げながら寒くても白い湯気の中
被災地で露天風呂に入る幸せを噛み締める。
「なんだか、被災者の方に申し訳ないな~」
頑張りやの女子大生からポロリと本音がこぼれる。

他の部屋のお姉さま方から、翌朝散歩へ行こうとお誘いがあり即快諾。
早めに眠りにつく。

翌朝けたたましいモーニングコールに全員が飛び起きる。
日の出前とは言え、ホテルのロビーからはすでに色づき始める空と海が見え
メンバーで写メールし合う。

歩いて5分で思い出の浄土ヶ浜に到着する。
透明度の高い海に感動する。
この美しい海が人々の命と生活を奪ったなんて本当に考えられない、
それほど美しい情景だったのだ。
曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と
感嘆したことから名付けられたとことが由来らしいのだが、
本当に天国を見ているようだった。

来た道を戻りそのまま朝食を頂き、身支度すると
早々私達はボランティアセンターへ向かった。

昨日闇に隠された、沿岸の街の被害状況・復興状況が朝日に照らされ
次々と私達の前に現れた。
こうして順繰りに見ていくと復興が進んでいる所とそうでないところが顕著に分かる。
陸前高田の何もない広大な街はよく言えば、片付いているといっていい。
規模、被害状況が一番悪いところに一番手がかかっているというのが分かる。
しかし、釜石は途中でストップしてまだ片付いてない建物が多い印象を受けた。

実はこのボランティアに行く前に、Twitterで知り合いになったkazuさんという
北九州の製鉄所で働く方から釜石でのボランティアの話を伺った。

夏にJBU基幹労連の7日間のボランティアに参加していたとのこと。
きちんとした研修の後300名集まっていろんな被災地へと派遣され
小学校へ宿泊したとのことだった。
家屋の瓦礫の撤去から、中小の鉄鋼会社の倉庫の瓦礫処理、
水産加工工場の引越し作業など力仕事が主だったようで、
この経験が財産になったと経験談を沢山語ってくださった。

しかし、最後に釜石のボランティアセンターの閉鎖と
労連のボランティアの凍結という話が気にかかっていたが、
見るとそれが一目瞭然に分かる。
つまり、復興には差があり釜石のような鉄鋼地帯は専門家のボランティアか同業者の
手が入らないことには難しいということが素人目にも分かった。
本当はこういう差があるのが悔しくてたまらない。
もっと、専門家が被災地を訪れなければならないと痛感した景色だった。

そんな、kazuさんの話を思い出し沿岸沿いの街を見ながらまた昨日と同じ
佐藤さんの畑の掘り起こしを私達は始めた。
2日目とあって、道具も昨日よりも揃えて作業に取り掛かる。

ところが、その日は途中で女性3名呼び出された。
佐藤さんの親戚のおかあちゃんの畑の中の釘やガラスを
さらって欲しいという要望が出たためだ。
現地の方とふれあいたかった私は迷いなく手を上げた。

早速掘り始める。細いガラスや多種多様な釘やトタン、小石が出てくる出てくる。
昨日のような力仕事ではなかったが、少しでも話をすることで気がまぎれてくれたら....
と思って楽しく仕事をした。

最初は怒り、その後は当時行方不明の知人の葬儀に行ってきたと話出す。
話をどんどんするうちに娘さんも行方不明であることが分かってくる。
「毎日泣いでら~」
そう言って言葉を詰まらせると、私達もついグッと目頭が熱くなりみんな黙りこくる。
大学に入学するための学費をおねだりしたときのこと、晴れて卒業して市役所に勤めたこと、
その市役所での仕事が娘さんの命を奪ったこと....
お孫さんは運よく助かったが、あるとき、誰かがお孫さんに娘さんの死を伝えてしまった所
「パパは他の人と結婚しちゃうの?」
と聞いてきたこと、お孫さんの心が壊れかけたこと、
娘さんのだんな様はまだあきらめずに探していること....

本当に楽しく、人懐っこく、茶目っ気があるおかあちゃん。
そんな人にこんな不幸がおとづれるなんて..また自分の非力さを思い知った。

おかあちゃんはボランティアで関わった人みんなに住所や名前を
聞いているようだったので私も書いておいた。
そして、私も彼女の名刺を頂いた。

作業が終わり記念撮影をしてご挨拶をする。
塩飴とのど飴を握らせられる。
「これもっていけ!」
そして、バスの見送りのとき、あんなに豪快で
面白いおかあちゃんが帽子で顔を覆っている。
「泣いてる!」と思った瞬間に私も目から大粒の涙が溢れてきて止まらない。
たった1日、それも数時間しか一緒にいない相手に涙を流すおかあちゃん....
おかあちゃんから沢山のありがたいボランティアが来てだいぶ片付いたんだと聞かされた。
おかあちゃんはバスを見送る度に寂しく思って涙を流していたんだと気付くと
どうしても流れる涙を抑えることができなかった。

途中、上着を忘れバスを引き返させるというやらかし珍ハプニングもありながらも
私達は帰路についた。
さらっと温泉施設で汗を流し、前沢インターでみな冷麺や前沢牛などに舌鼓を打つ。
帰りのバスの中はみな曝睡状態だったが、3時頃時間潰しに寄ったインターで
大学生の男の子と話し込む。朝日の写真集などを持っていてよく見るとのこと、
他にもボラを探していて次も参加しようと思っていることなど。
私はおかあちゃんの話をしてみる。自分で何かできないか考えていると話す。
添乗員、ベテランさんも参加して他の地域のボランティアの話を伺っているとあっと
いう間に集合時間となった。

5:00に池袋に到着。

普段あまりない交流だったので短いながらもなんとも凝縮した2日間となった。
帰りに偶然にも二駅隣に住んでいた翻訳家さんに話を伺う。
以前はNPOに勤めていて海外のボランティアセンターなどで
働いていた経験を持っているとのこと。
スマトラの地震のときは現地で津波の教育や子供達の心のケアをやっていたと聞いて
自分も被災地の子供達になにかできたらいいな、と少し頭を巡らせる。
お忙しそうな方だったが、タンザニアの有名な歌手の方とお知り合いとのこと。

ぜひ、イベントの際は読んでください!とお願いする。
現実になればいいなーと思いながら家路についた。

何にも変わらない我が家。
何も変わらない景色、でもなんだか心が晴れやかだった。
未来を信じて、そして朝風呂に入りながら大きく深呼吸する自分がそこにいた。



【番外編】

ちょっと自分でもびっくりな現象があった。

ボラの帰り道黄金色に輝く夕日をみながら、驚くことに無償に自分の子供がほしくなった。
この「ゼロ」状況を見せなくては、復興していく日本を見せなくては、自分で何をすべきか
考える力を持たせなくては!とリフレインのようにしばらく頭がその言葉に占拠されたのだ。
自分が女性だからということもあるが、おそらく私達の世代から以降生まれる子供には
今までとは全く違う意味があると瞬間的に感じたということも起因していると思う。

それは、今まで通りのバーチャルだけの頭でっかちな教育ではなく
実践を重きにした教育制度への転換が始まり、その成果が出るのが
ちょうど私達やそれ以降の子供達の世代と考えられるからだ。

震災をきっかけに防災に関する教育や土地活用、都市計画、政治経済、医療、金融、
それぞれのプロが本格的に必要となりその経験を生かしきって次世代に実践と言う形で
示される時代が到来しなければ日本はもはや機能しなくなってしまう。

そんなのは悲しい。
見ざる、言わざる、聞かざるはもう止めにしなければ震災後の
日本でサバイブするのは非常に難しい。これは事実だ。

ボランティアに行く前に糸井重里さんの「ヤマト運輸のDNA」を読んで感動で涙したが、
この記事はプロがこの被災地のような「ゼロ」もしくは「マイナス」状態でも
うまく機能できる可能性を秘めていることを示唆している。
他にもベンチャー企業のようなところが、「ゼロ」状態の土地でボランティアをすることで
何かよい方法が見つかるかもしれない。

デキルと言われている人の中には東北を切り捨てる考えを持っている人もいると思う。

しかし、それでは戦後の日本のような高度成長は望めない。
なぜなら震災から何も学んではいないのだから。
戦後の日本は協力して、「ゼロ」であることから、沢山の事を学び立ち上がった。
戦後世代の話を温故知新で聞いてみるのもこれからの日本の
将来にはヒントになるかもしれない。
とにかく、今後は頭に浮かんだ正しいと思われる情報を実践していくのみなのだ。
自分自身の足で歩き、見て、聞いて、そして伝え合うことで学びあい実践したことの
教育が自然に身につくようになっていく。

強制はしないけれど、絶対に現地に1日でもいいから行って見て、耕して、現地の方の
話を聞いて涙する。それだけで、あなたの人生はきっと変わるはず。
あなたの見て、聞いて、伝えたことが未来の日本とこれから生まれる子供達に
大きな影響を与えるはずだ。

それはあなたの手や足にかかっているのだ。
この日記を見て何かおもったら即行動してみてほしい。
始めるのに遅すぎることはないのだから。




追伸

久しぶりの硬い長文を最後まで
お読みいただきありがとうございました。

これから、岩手は本格的な寒さが到来します。
半壊している住宅には物資の配給は一切ありません。

現地で話を聞いた「高田のおかあちゃん」に温風ヒーターを送ってあげたいと考えています。
私一人でもいいのですが、みんなから送ってあげたら喜ぶかな....と思っているのと、
日本に自分達が忘れられると思ってもらいたくないので、できれば多くの協力がいただけると
ありがたいです。

1口:1000円で参加したい方、
どうか下記メールアドレスまでメールをください


心よりお待ちしています!!!!
宜しくお願いいたします!

akieemzawadi44@gmail.com


-------------------------------------------
■ほぼ日イトイ新聞/「クロネコヤマトのDNA」
http://www.1101.com/yamato/

■JBU基幹労連
http://www.kikan-roren.or.jp/

■西武トラベル/ボランティアツアー
http://bus.seibutravel.co.jp/volunteer_bus/

■トップツアー/ボランティアツアー
http://toptour.jp/sit/tohoku_volunteer/

■たすけあいジャパン/ボランティアツアー
http://tasukeaijapan.jp/?page_id=3813

■地球の歩き方/ボランティアツアー
http://www.arukikata.co.jp/volunteer/kokunai/higashi-nihon.html

■イッテコット/ボランティアツアー
http://www.itteco.jp/special/volunteer_bus_tour.html

■岩手県北観光/ボランティアツアー(100%地元に換金されます)
http://www.kenpokukanko.co.jp/knp/?p=103
-------------------------------------------








la leo litende leo
akieem zawadi

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陸前高田4日間ボランティアツアー

こんばんわ。
akieem zawadiです。

本日は東北大震災から7ヶ月目となりました。

先日、恵比寿文化祭で行われた
「ACT FOR JPN」のイベントに参加し
クリエーターの方々の被災地への支援報告を
見聞きして大変刺激を受けました。

3.11以来ずっと私も何かしたいと思いながらも仕事で連休もとれず
体力的にも自信がなかったのでなかなか実現できずにおりました。
また、沢山のボランティア団体がある中、自分のすべき事が見えていなかった事も
ありなかなか前進できずにおりました。

しかし、仕事が一段落している現在
「時間・体力ともに十分余力がある今だ!今なら行ける!」
私の中で何かがGOサインを出したのだと思います。
気付けば瞬間的に申し込みをしてしまていました。

【陸前高田4日間ボランティアツアー】
・場所:岩手県陸前高田市
・宿泊地:浄土ヶ浜パークホテル(1日のみ)他車中泊
・ボランティア内容:被災地住宅の家具搬出・汚泥除去・清掃、
             河川の瓦礫撤去・汚泥除去・清掃等(現地で変更あり)


私が宿泊する予定の浄土ヶ浜パークホテルは8月上旬から
宿泊営業を再開し、10月より露天風呂も再開しています。
義援金付プランの設置やウエィングの受付なども始まっています。

「その場所で生きる」ということが少しづつ芽が出るように
再開してきているのを感じると胸が熱くなります。

「復活している故郷の姿をこの目で確かめたい。
 その上で私のすべき事を真剣に考え
 実行してゆきたい。」


これが今回の旅の純粋な目的です。

中には「ツアー」とついているからと言って純粋なボランティアではない
とバッサリと切り捨てる方や、顔を顰める方もいるかもしれません。

ですが、私は違った観点でこのボランティアツアーを見てほしいと考えます。
「ボランティア=偉い、高尚だ」「していない人=利己的で非国民だ」
という考え方に私たちは知らず知らずのうちに
陥っているような気がしてならないからです。
「ボランティア」が免罪符のようであってはなりません。
「ボランティア」は震災がなくなれば必要なくなる存在です。
それ自体はとてもハッピーな事かもしれません。
しかし、「ボランティア」が必要なくなったら幸せなのではありません。

被災地が本当の意味で復興するためにはその土地へ商業ベースで
お金が回るシステムが必要なのです。
たとえば、観光を商業ベースで行っている町を活性化させるには単純に考えると
定期的にその土地に「観光客」というお金を落とす誰かが訪れる必要がある訳です。

「被災地へ遊びに行く」

というと聞こえは悪いかもしれません。
しかし、あえて私は大義名分はボランティアですけれども
幼少から遊びに行っていた場所へまた、遊びに行きたいと思っています。

そして、あえて

「遊びさおでんせ。」

と被災地ではない場所に住むすべての方へ伝えたいです。
これが私にできることのひとつです。

何もなくなってしまった文字通り「ゼロ」だからこそ
クリエーターにとっては作り上げることの大切さを
これから訴えられる重要な場所であり
大きな未来への足がかりとなるはずです。

大河の一滴でもいい、今後ゆっくりでも
クリエーターとして活動してゆきたいと考えています。


*みなさんへ*

私が何かを始めたとき、きっと拙く、不器用であるかもしれません。
ですが、みんなで手を繋ぎハッピーな「何か」と造ってゆけると確信しています。
どうか、そのときには皆様の惜しみないご協力を
どうぞ、宜しくお願いいたします。


■西武観光
がんばろう日本!がんばろう東北!
陸前高田ボランティアツアー4日間
http://bus.seibutravel.co.jp/triwwwp_vl/tours/view/12/sbt-takada






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akieem zawadi

シャンティ国際ボランティア

こんばんわ!
akieem zawadiです。



今日は仕事帰りに千駄ヶ谷にあるシャンティ国際ボランティア(以下SVA)の
30周年イベントへ参加してきました。(↓下記概要。)

そもそも、SVAが活動したきっかけはカンボジア難民キャンプで暮らす
子供達に安らぎを提供したい。。。と言うところから始まり、この子達の為に
何かできないかということで絵本作りがスタートしたそうなのですが
その凄惨さが活動を通して見えてきました。

例えば、ポルポトの大量虐殺の人数は約200万人と言われていますが
現地スタッフだった鎌倉さんの話によるとそれ以上だったのではないか
と推測できるのだそうです。

というのも、SVAは絵本を届ける活動の他年間に12校ほど小学校を
毎年建設しているそうなのですが地盤の基礎を作るために地面を掘り起こすと
そこには無数の頭蓋骨がゴロゴロ出てくるそうで、どうやらその頭蓋骨は
教師や僧侶、作家や画家のものらしいのです。

学校はそのような知識人の処刑場や牢獄となっており、校庭などの広い場所は
軍事基地として利用され地雷なども沢山埋まっていることから
建設時は金属探知機で地雷探しから始まるそうなのです。

政権前と後では教師の割合が大きく異なり、政権前と比べると
生き残っている教師の割合はたったの2割。
作家も文字を使って先導できるということで2割
絵や芝居を描くような人々は感動を与えるという事でたったの1割しか
生き残っておらず先導されると考えられるすべての人が
真っ先に皆殺しにあっていたのです。

そのせいでなかなか作家や絵を書ける人をみつけるが難しく
やっと見つけた作家も兵士達に無惨に筆を持てないように
手を棍棒で変形するまで痛めつけられたが命だけは
助かった人であったということでした。

この話を聞きもう少し早くにもし自分がカンボジアに生まれていたら、
間違いなく殺されていただろうし、
二度と筆がもてないように手をめちゃくちゃにされていたかと思うと
心臓を鷲掴みにされたように胸が苦しくなりました。

最後に地下で子供達の絵や難民キャンプ内の珍しい写真などを見ながら
スタッフの方がおっしゃっていた言葉がとても印象的でした。

「教科書では近代の歴史は流れるようにしか、習わないけど
 本当は一番身近で一番学ばなくてはいけないのは近代の歴史なのではないか。」

そのとおりだなと思いました。

こうして日本に生まれ、恵まれた環境にいると気づかない事が沢山あるな
と思った瞬間でした。世界の動向を通してまた日本を見る事で、自分達のあり方
国のあり方、行く末と今何ができるか。。。。を考えさせられました。

そして、ふと戦争写真家の「市ノ瀬泰造」のことを思い出しました。
戦争を追い続けついには巻き込まれて殺されてしまった、私の好きな写真家です。


「地雷を踏んだらサヨウナラ」


という本は皆様ご存知でしょうか。





浅野忠信が主演で映画化もされた本です。





私は彼の本を読み彼の写真展へ行き銃の貫通したカメラなどを見て
本当に間近な国で行われている事がどんな事なのか知りました。

私たちに必要なのはまず、知る事。
そして次にそれをまた自分のやり方で人に伝える事。
さらに自分のできることでどうすれば現状がよくなるかを考え実行する事なのだ
と改めて思いました。

今後もSVAでは沢山の活動をしていくと思いますが
私も何らかの形で受け身ではなく
呼びかける側での立場で参加する事を一度考えてみよう思います。


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Gallery Shanti 8月のイベント
「子どもと絵本とSVA---難民キャンプから30年---」
(2010.8.25)

■イベント概要■

■日時
8月25日(水) 14:00〜20:00
写真・子どもの絵画展
〜カンボジア難民キャンプに生きる〜
<1>15:00〜16:00 <2>19:00〜20:00
ドキュメンタリー映画&トーク
「祖国なき人々」

■場所
SVA東京事務所 地下 「Gallery Shanti (ギャラリー・シャンティ)」
*「Gallery Shanti」とは、東京事務所・地下会議室のイベントの名称です。

■住所
〒160-0015東京都新宿区大京町31 慈母会館

■アクセス(最寄駅)
JR総武線 千駄ヶ谷駅、都営大江戸線 国立競技場駅
           
  URL 
http://www.sva.or.jp/sva/map/
 


■入場料 : 無料
読まなくなった本(CD・DVD・ゲームソフトも歓迎)を
1点お持ちください。あつまった本などはブックオフへ。
買い取り額をSVAがアジアの子どもたちのために役立てます。

詳しくはコチラ↓
http://sva.or.jp/event/event201007291076.html


1981年にカンボジア難民の救済活動を開始した
シャンティ国際ボランティア会(SVA)。
現在では、タイ、カンボジア、ラオス、
ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、
アフガニスタンで教育支援活動を行っています。
今回は、1980年代に撮影された貴重な写真や
キャンプの子どもたちが描いた絵を展示。
また難民キャンプのドキュメンタリー映像である
「祖国なき人々」の上映会をおこないます。
ご予約、ご連絡は不要です。お気軽においでください。

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■写真家 一ノ瀬泰造 オフィシャルサイト
URL: http://www.taizo.photographer.jp/











Big kiss & Dream
akieem zawadi

Profile

HN:
Akieem Zawadi
性別:
非公開
職業:
ARTIST
趣味:
散歩 ・小説書・ 涙を流すこと
自己紹介:

海外のファンが多く、色彩感覚と切り取る目線がその人気の鍵。

日々の考えや恋愛、食べ物、読み物、音楽、アートとあらゆることに関してエッセー調に書き綴っている。

夢は、世界中の夕日と朝日を愛する+1と見に行くこと。世界中のあらゆる食べ物を食べ歩くこと。

 

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